4)仏師による懸仏ここでは宮嶋神社蔵の懸仏を最古例としたい。この懸仏の尊像は,銅板を打ち出し半肉彫りとしたもので,同じ頃の制作と考えられる,同様な懸仏は岩手県中尊寺円乗院蔵の釈迦如来懸仏(重要文化財)や同寺地蔵院蔵の千手観音懸仏(重要文化財)など数多く見られるが,在銘の作例はほとんどなく貴重なものといえる。宮嶋神杜蔵の懸仏の尊像は,頭部以外の体躯や台座は,ほぼ平面に近く線刻で絵画的に表現されており,簡素な造りであるといえなくもない。しかし,稚拙な表現や手抜きは見られず同様な尊像を造り慣れたものの手になるのは明白である。この懸仏の年記の9年後である仁安2年(1167)の記年銘のある東京芸術大学蔵の女神懸仏は鏡板と尊像が共鋳である。それから27年後の建久5年(1194)の記年銘のある愛媛県三島神社蔵の天部形懸仏の尊像は打ち出しではなく鋳造で鏡板に貼り付けられている。このように在銘の懸仏だけ見ても同時代に異なる技法が共存していたことがわかり興味深い。宮嶋神社蔵の懸仏は手慣れているとはいえ,その体躯表現は日頃から彫刻作品を制作している純粋な仏師の手になるものとはいえず,やはり工芸作品の制作に従事していたものの手になることは同時代の仏教工芸品や仏像彫刻との比較から推測できる。それでは,在銘懸仏のなかで尊像の制作に仏師が係わっていると考えられる作品はあるだろうか。在銘懸仏の中で仏師名が出てくる最も早い例は,山形県昌林寺蔵の十一面観音懸仏(重要文化財)である。直径36.4センチメートル。桂の一材で鏡板と像を彫出している。像は二重光背を負い,蓮華座に坐る十一面観音像。右手に水瓶,左手に数珠を執る。裏面に次の通り墨書銘がある。「奉造立白山御鉢/松林寺/安貞二季諄九月日/勧進圏行恵区]匡]房/佛子経匝]」安貞2年は1228年である。なお,奈良国立博物館にはこの懸仏とほぼ同一の懸仏が存在する。尊像は十一面観音ではなく聖観音であるが,裏面の銘により両面ともに経円という仏師が制作に当たったことがわかり興味深い。山形県呂林寺蔵の懸仏以降の作例で仏師名が記されている懸仏は,千葉県観福寺蔵の釈迦如来懸仏と十一面観音懸仏の2面以外に見あたらず,仏師名を懸仏に書き入れる例はきわめて少なかったようである。観福寺には懸仏が4面あり,いずれも千葉県香取神宮に奉納されていたものであるが,神仏分離の際に観福寺に移されたものであ--77 -
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