鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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為亡父実政井海雲比丘尼所奉建立如件/延慶弐年塁三月八日~阿弥陀仏/檀那□る。4面共に重要文化財で,その内訳は,前記の2面以外には地蔵菩薩懸仏と薬師如来懸仏があるが,この2面には仏師名は記されていない。釈迦如来懸仏は直径60.7センチメートル,鋳銅製の銅板を鏡板とし,丸彫りの釈迦如来坐像を柄で留める。また台座を留めていたであろう孔が鏡板に残るが,台座は欠失している。像は,右手を胸の高さにあげ施無畏印,左手は膝の上で与願印とする。両手先は別に造り差し込む。それまでの半肉彫りの像とは異なり,完全な丸彫りの鋳銅像で,懸仏の像でなくとも鎌倉時代の金銅仏の基準作となりうる秀作である。像の背面(現在は背面側に像を取り付けている)に次の通り刻銘がある。「奉送/香取太神宮御本地四体内/釈迦牟尼如来/右志者為天長地久当杜/繁昌異国降伏心顛成就/造立如件/弘安五年翠八月一日/仏師言重加蓮願/口二]亘亘虚」十一面観音懸仏は60.8センチメートル,釈迦如米懸仏同様,鏡板に次の通り刻銘があり,同時に制作されたことがわかる。「奉送/香取太神宮本地四体内/十一面観世音菩薩/右志者為天長地久当杜/繁昌異国降伏心願成就/造立如件/弘安五年ま八月一日/仏師沙弥蓮願/1十一面観音像も完全な丸彫りの鋳銅像で,両肩より先と,頭上の化仏などは別鋳で造り差し込んでいる。やはり,像の背面に2本の柄が出ておりその柄で鏡板に留めている。また,台座を留めていたであろう孔が鏡板に残るが,台座は欠失している。香取神宮は,中世以来四所明神が配祀されているが,本懸仏は弘安五年(1282)に香取神宮の本地仏として仏師連顧によって制作されたことがわかる。仏師蓮願については,この2面以外には作例が見あたらない。また,蓮のつく仏師は嘉禄元年(1225)から元亨2年(1322)の間に7名あるいは8名確認されている(1名は蓮の下の文字が不明確で同一人物の可能性もある。)が,今のところ,各々の関係はわからない(注2)。地蔵菩薩懸仏は直径62.0センチメートル。前出の2面同様,香取神宮に奉納されていたもの。像は,右手を胸の高さに錫杖(欠失)を執る形に上げ,左手を胸の高さにあげるが,手先は欠失している。同様に次の通り刻銘がある。「敬白下総国香取大明神御宝前/一奉建立金銅地蔵大菩薩一体/一奉読誦般若心経万巻井観音経千巻/右志者圏胤魯/同大□□□」この銘によると延慶2年(1309)に制作されたことが知れる。仏師の名前はわから|魯J-78-

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