47.7センチメートル。銅板4枚からなる鏡板の周囲に覆輪をめぐらし,圏線で内外区4腎の大威徳明王を表す。像と鏡面は共に一鋳である。像の左右の鏡面に次の通り刻銘がある。「渋川金屋厄訃国]/貞和二二年戊子七月廿七日施主/大工屠]屠]」この銘によると大工圏圏により貞和4年(1348)に制作されたことがわかる。また,同じく貞和4年に埼玉県鎌形八幡神社蔵の薬師如来懸仏も制作されている。この懸仏も東京国立博物館蔵と同様に,直径14.8センチメートルで,円形の鏡板に覆輪をめぐらし,左右の上方に懸垂用の耳環をつける。鏡板中央に蓮台に坐る薬師如来像を表す。像と鏡面は共に一鋳である。像の左右の鏡面に次の刻銘がある。「渋河閑坊/貞和二二年戊子七月日施(QI大工兼泰J銘からわかる通り両面ともに尊像の違い以外はほとんど同じである。両面共にその尊像はあきらかに仏師の制作したものではなく,素朴で単純なものとなっている。ここで言う大工とは当時の梵鐘や雲版・鰐口などの金工品を制作していた鋳物師のことであるが,日頃尊像を造り慣れている者の手によるものでないことは両面を見ることでわかる。この懸仏以降にも,作者銘か全体に少ない中で,康暦2年(1380)銘のある京都国立博物館蔵の阿弥陀・不動毘沙門天懸仏にも次の通り刻銘があり鋳物師の作であることがわかる。「奉懸/三所権現熊野証誠殿御正体/右為天下大平山内安穏寺中静謡/興隆仏法心中善願成就也伯所修若斯/康暦二年靡十二月七日願主千行/大工坂上末光」直径に分け,中央に阿弥陀如来,向かって右に不動明王,左に毘沙門天をそれぞれ配す。各像に天蓋が付くほか,中尊の前には火舎と六器をのせた卓を配すなど賑やかな構成となっている。尊像以外が賑やかなのに対して,腺像は目鼻口の表現も単純で,衣文表現もあまりされておらず稚拙な表現となっている。なお,個人蔵の聖観音・不動毘沙門天懸仏も康暦2年大工坂上末光の作である。これ以降の鋳物師名の見られる懸仏は次の通りである。応永2年(1395)滋賀県明王院蔵不動明王懸仏大工長春応永2年(1395)石川県加茂神杜蔵不動三雌種子懸仏大工右馬次郎応永3年(1396)個人蔵五社大明神懸仏大工小泉彫左衛門応永3年(1396)滋賀県明王院蔵不動明王懸仏大工長順応永13年(1406)滋賀県明王院蔵不動明王懸仏大工長春文明7年(1475)埼玉県中山薬師堂蔵薬師如来懸仏越大工道通長享2年(1488)埼玉県立博物館蔵如米懸仏武州児玉金屋中林家次-80 -
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