鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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6)。この6顆については,浦上家に伝存したという経緯からして,玉堂が76歳で没す「T酔郷」はJ印同様,関防印として使用されることが多かった印章で,外形縦1.4「I白髯栞士」は上のT印と同じく13.6%の使用例が認められるものの,ほとんど関るまで保持,使用したと推定しても許されるであろう。しかも,これらを合わせると,用例全体の73.2%を占めるのである。このように玉堂の手元に在った6顆中,R印を除いた5種が数値の上で印章使用例の上位5位までを独占し,70%強にまで達しているということは見逃せない。最終的には,玉堂筆と伝えられる作品のおよそ70%に対しては,これら6顆の印章を正しく理解し,照合することによって,真贋の判定がきわめて容易になるという結果が生じるのである。ともあれ,これら伝存する印章の印文は,Hが浦上家の家系に,I • J • N • Rは自らの本分と任じていた七絃琴に,Tは制作時に絶えず飲用していた酒にちなんだ文言であり,それぞれ玉堂にとって愛着の深かった印章であることがうかがえる。さて,「H武内大臣之孫」は60歳代からの使用が想定される印章であるが,全24種中最も使用頻度が高く,これひとつで20%を超える。外形は縦3.1糎,横3.5糎,高3.2糎と印影部分よりかなり大きめで,獅子形の鉦のついた金属製の印である。ただ,金属製とはいっても印文を囲む枠部分は薄くて脆弱であり,使用開始からかなり早い時点で,押捺時の圧力によって左肩に歪みが生じてしまったようである。つまり,左肩部分が斜めになっている作品の方が使用年の遅いものとなる。次に,これも18.3%という高い数値を示している「J榮王」は,外形縦1.1糎,横0.7糎高1.5糎の小さな玉製のもので,かなり磨滅した獅子鉦がついている。40歳代から継続して用いられていることからすると,厳重にかつ大切に使用されていたのであろう。玉という比較的軟らかい素材の性格上,印面もすり減っており,晩年となるはど印影のうつりが良くないもの,いわゆる印つきの芳しくないものが増えるのもいたしかたないと思われる。糎,横0.9糎,高2.2糎の玉製のものであり,側面に「十歳壽山」の銘が刻まれている。防印としての例が見当たらないという点で異なっている。外形は縦1.0糎,横1.0糎,高1.4糎の小さな金属製の印章で,上部には兎形の鉦がついている。浦上家に伝わった印譜では印影がはっきりしているが,作品の上では比較的印文の不鮮明なものが多いようである。[N栞為吾家」は陰刻部が深く刻まれており,肉眼では印文が細く明確に浮き出てい-98 -

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