鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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り連続的に捉える。第2の手法は関連テクストにあらわれた内容構成の展開を分析し,王讃歎修善紗図絵』という一連の『地蔵菩薩発心因縁十王経』関連テクストを対象として取り上げ,それらが同一の原テクストから派生したものでありかつ六道十玉図と内容的に密接な関連を有していることを解明する。なお,これらの成果は学会におい大阪府茨木市水尾地区にある弥勒堂は「十王図」と呼ばれる3幅のうち中幅を失い現存2幅を有する(〔図1• 2〕見取り図)。この作品は1991年に「恐怖と救済」展(岡山県立博物館)の図録において基礎的データが紹介されたが,詳細な検討は現在に至るまでなされていない。水尾本は十王関連図像のはかに六道に関する図像をも含み,こうした作例は私がこれまで「六道十王図」と呼んできた範疇に属するものであり,同範疇の現存作例のうち鎌倉時代にまで成立年代が潮るものとしては,わずかに制作年代に関しては,前述展覧会図録では南北朝時代とされるものの,定式化されない本地仏の配列が鎌倉時代に特有の現象であること,画中の五輪塔の形態が1295年銘伝曽我兄弟墓をはじめとする鎌倉後期の石造五輪塔のそれと類似すること,霞の表現様式が一遍聖絵や春日権現験記絵巻といった13世紀末から14世紀初頭の作品と共通することから鎌倉時代末葉と推定する。したがって禅林寺本と極楽寺本より遅く前田家本十王地獄図より早い時期に,水尾本は成立したものと思われる。現存状況によれば水尾本には画面上部に十王を配し画面下部に六道図像を配する点で極楽寺本に近い構成原理が認められるが,一方で画面下部の六道図像について,生て十王図像のすぐ下にまとめられ,悪道図像と十王との間に介在するように配される,特徴ある構成も認められる。水尾本は,現世と他界とのあり方に着目してみると,十王部分と六道部分という単第1の手法を補完するものである。具体的には『+王讃歎紗』『十王讃嘆修善紗』『十て2本の口頭発表(注1)がなされ,3本の論文(注2)に論文化されている。2 絵画作品にあらわれた構成の展開2-1 水尾本の概要13世紀後半の禅林寺本十界図と極楽寺本六道絵の2例を数えるに過ぎない。水尾本の老病死および求不得苦•愛別離苦そして不浄相といった人道図像が,すやり霞を隔て2-2 水尾本の図像構成-2-

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