鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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⑨ ジョルジョ・デ・キリコとシュルレアリスムの乖離1918年以前にキリコによって描かれていた作品こそ,ここ20年米,もっとも厳格な,研究者:ふくやま美術館学芸係長谷藤史彦1.序芸術家は稀に誤解によって評価されるときもあるが,20世紀最大のイタリア画家ジョルジョ・デ・キリコの評価ほど誤解によってはじまり,そのまま現在にいたっている芸術家も少ないであろう。シュルレアリスムの創始者アンドレ・ブルトンはデ・キリコについて次のように記している。…このとき(1917年末),彼の作品は旧態依然たる技術的偏執(ラファエルロのみじめな模倣までに行きつくメティエヘの配慮,油絵具への逃れがたい不信,等々)におちいってしまい,以来そこから立ちなおることのないまま,滑稽なまでに,ときには自分自身を否定し,ときには自分自身を模倣する誘惑のとりことなってしまう。もっとも警戒心のつよい青年たちの眼によってつねに好意を向けられてきた稀有のものなのだ(注1)。つまり,デ・キリコは1910年代の絵画によってシュルレアリスムに大きな影響を与えたが,1918年以降はその独創性,前衛性が失われ,単なる古典に転向していった,というものであった。このようなシュルレアリスム側からのデ・キリコの評価が一人歩きし,一般的な評価となっていった。しかし,1970年にミラノの回顧展が開催され,デ・キリコの生涯にわたる画業があらためて紹介されると,新しい視点によってデ・キリコを再評価しようという動きが広がっていった。なかでも,マウリツィオ・ファジョーロ・デラルコの膨大な資料を渉猟した綿密なる研究は睦目すべき成果をあげてきている。本稿においては,ブルトンが1日蔵していたデ・キリコの絵画《子供の脳》に焦点を当て,ファジョーロの研究を踏まえつつ,デ・キリコ自身が本来意図しようとしたものを探り,シュルレアリスム的なフロイト流の解釈が誤解,および意識的な誤読によるものであること明らかにしたい。デ・キリコの本来の意図,つまり形而上絵画とは-108-

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