鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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オートマテイズム3.《子供の脳》をめぐる言説シュルレアリスムは,フロイトの夢の心理学に特殊な付与をするようになった。フロイトのなかの臨床研究に基礎づけられた,無意識生活の解明にかんするすべてのものに,特殊な重要性を付与したのである(注4)。ブルトンは,フロイトの発見した夢に表れる無意識の璽要性に注目し,自動記述という手法を考案し,文学に適用したのであり(注5),「フロイト流」というのはシュルレアリスム的手法そのものと考えてよいものであった。シュルレアリストにとってデ・キリコは「フロイト流」絵画を生み出す大きなイメージの源泉となっていたのであるが(注6),シュルレアリストたちは逆にデ・キリコをシュルレアリスムの文脈のなかで解釈し,位置づけようとした。それはまさに本末転倒であるばかりか,デ・キリコを非常に狭い解釈のなかに押し込めてしまうことになってしまった。デ・キリコ自身も,1918年までの作品がブルトンらによりシュルレアリスムの範疇に恣意的に入れられてしまったことに対して,攻撃的に述べている。シュルレアリストたちは,かくして私の絵を独占し,私の絵に勝手にシュルレアリスム絵画の名を冠せ,広告や新聞雑誌の力を借り,さらに巧妙に仕組んだぺてんによって,彼らより以前に画商たちがヴァン・ゴッホ,ドゥアニエ,ルソー,モジリアニ(「モジ」というべきであろうか)などの場合に行ったことのくりかえし,要するに,はっきりいえば,私の絵を法外な値で売りつけて,大もうけしようという計画を推し進めようとした(注7)。つまり,シュルレアリスム運動における経済的理由においても,デ・キリコの有効な部分だけをシュルレアリスムに取り込み,他の部分を切り捨てていった,というわけである。プルトンは実際にデ・キリコの作品を何点も所蔵し,売買もしていたことは事実であった。ここでとくにプルトンが旧蔵していた名作《子供の脳》〔図1,2〕に焦点をしぼり,その解釈について各人の言説を検証したうえで,デ・キリコが本来意図しようとした-llO-

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