鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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純な2層構造にとどまらず,上中下と分かたれた三つの図像群から成り立っていることに気づく。最上層である第1図像群は斎日順に右から左へと居並ぶ十王によって構成される。この図像群は六道図像と霞によって完全に分離されるが,このことは以下の図像群に対する明確な支配権と,衆生の転生先として想定し得ないという意味においての以下の図像群との厳然たる区別を示している。中層に位置する第2図像群は,現世における人間の一生によって構成される。人間の一生とはいうもののそれは先に述べたように人道における八苦を配列に留意することによって右から左へと生涯の事象をたどれるようにしたものであり,それぞれの図像自体は人道苦相の図像伝統に沿うものである。最下層を形成する第3図像群は,描かれた地獄の序列と配置から推測するに,おそらく右から左へと地獄道を降下してゆく構成をとっていたと思われる。他の層との関係が明確な最上層に比して,中層と最下層との関係はより微妙であり,はるかに融和的に処理される。両図像群の間にあるのは,地獄道よりも悪業の軽微な餓鬼道・畜生道といった悪道にまつわる図像や,奈河津・野辺といった境界的な色彩の濃厚な図像,そして転生あるいは悪道からの救済を主題とした説話的なおもむきのある図像である。そしてこれらの図像の多くは,第2層あるいは第3層の各図像と親和性をもつように選択・配置される。例えば,地獄の釜が割れて亡者たちが蓮華化生を遂げて極楽へ向かう図像は黒縄地獄の左上に描かれあたかもその一部をなしているかのような趣をもち,畜生道は生苦の屋形の庭先に放たれた家畜として,あるいは屋形の住人の狩りの対象として描かれる。目連救母説話図像では,地獄での母との再開を経典どおり阿鼻地獄の上端に配置する。また不浄相をはじめとする野辺に集められた諸図像が老・病・死苦の描かれた屋形と連続する感覚のあることは先に指摘した通りである。地蔵に手を引かれ野辺を目指す亡者の姿も,位置的にはその下に描かれた地獄を地蔵の加護により脱し,彼の肉体の放置された野辺へ蘇生のために向かっているが如き風情である。こうした図像,わけても地獄道よりも悪業の軽微な悪道の図像が人道のような現世と地獄との間に挿入される例は,他に長岳寺本などにもみられる。水尾本において奈河津・野辺といった境界的な色彩の濃厚な図像が現世と他界とを取り結ぶ結節点として機能していることは言うまでもないが,転生あるいは悪道からの救済を主題とした説話的なおもむきのある図像は単に境界的であるという点だけではな〈,現世と他界とを往還するという点においてさらに積極的な意味をもつだろう。水尾本を形成する三つの図像群のうち十王図像が霞によって他の図像と隔てられてい-3-

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