のである。それが1916年のことであった。ブルトンは,1923年にこの作品をモチーフにして,「五つの夢ージョルジョ・デ・キリコに」という詩を書いている。…この夢の続きで精霊の役割を演じている或る人物が私を出迎えにやって来て,階段の方へと私を案内してゆく。二人で降りてゆくその階段はたいそう長い。この人物には以前会ったことがある。あちこち奔走して私に職を世話してくれた男なのだ。階段の横の壁に奇妙な浮き彫が施してあるのに気づき,近寄ってしげしげと眺めずにはいられなくなるのだが,その間案内人は私に言葉をかけてくれない。それは石膏細工で,もっと正確に言えば,物凄く盛り上がった口髭を型取った複製である。その中には,ボードレールや,ジェルマン・ヌーヴォーや,バルベ・ドールヴィイらの口髭も混ぎっている。最後の段のところで精霊は私を置き去りにする,と,私はいつの間にか三つの部分に分かれた広いホールのようなところにいる。最初の広間は他の二つよりもずっと小さく,どこにあるとも知れぬ採光窓から陽が射しているだけで,一人の若い男がテーブルに向かって坐り,詩作をしている。彼の周りには,テーブルの上にも床の上にも極度に汚い大量の原稿が散乱している。...(注9)このブルトンの文章によれば,画面の人物は採光窓のある地下室で構想を練っている若い詩人ということになる。テーブルの本は,大量の原稿と同義であるとすれば,若い詩人の著作ということになる。つまり,この詩人をブルトン自身の投影された姿として解釈したのである。眼を閉じて黙想していることが,詩作であり,夢の状態にある,というわけである。シュルレアリスムにとって,夢というのは重要な概念であり,ブルトンがシュルレアリスム運動の雑誌『シュルレアリスム革命』を創刊したときにも,その第1号に夢の特集を組んだほどであった。そこには,ブルトンの文章と並んで,デ・キリコの文章も掲載されていたが,それは《子供の脳》の人物と密接に結びつくものと考えられ-112-
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