る内容のものであった。私は,疑い深いが非常に優しい目つきの男と格闘しているがどうにもならない。私が彼をつかまえるたびに,彼は両腕をひろげて静かに身をもぎはなす。その腕は信じがたい強さ。測り知れぬ力をそなえており,不可抗力のテコ,万能の機械,ひろがる造船所から浮かぶ要塞の全体を,氷河期以前の哺乳類のように重い砲塔ごと持ち上げる巨大なクレーンのようだ。……私が夢の中で見たのは私の父である。しかし,わたしが彼を見るとき,私の幼いときに生きていたように見ることはまった<ない(注10)。この文章が契機となって,画面の人物がデ・キリコの父親であるという説が,定説化されていった(注11)。とくに,ソービーの解釈は,その後のデ・キリコの評価の基禅となってしまった。《子供の脳》はデ・キリコの初期作品のもっとも執念深いイメージのひとつである。それは通常,子供時代の親の権威の恐怖からくる作家の父親の肖像として受けとめられている。青白い気弱さと真黒の口髭,まつ毛,髪の強烈な男らしさにおいてその人物は恐ろしいほどである。後年のマネキンの姿を予感させるパン生地状の長い腕の四角いトルソが前の青いテーブルを圧している。テーブルには深紅色のシオリをとじ込んだ黄土色の本がある。直接的な原点からの補足的証拠がない図像学の精神分析的解釈の欠点かどうであれ,本とシオリが父親の欲望と母の黙従を象徴しているという広くもたれている理論を,この場合,私たちは受け入れなければならないだろう。この理論は,トルソに対するシオリの位置関係によって裏付けられている。絵全体がフロイト流の不快に満ちている。《子供の脳》の背景は共鳴する黒で描かれている。これが,明るい赤の煙突(本のシオリの男根崇拝の反映),グレーの建物,青い空がみえる高く開かれた窓を右に支えている。左側には重いカーテンがある。これは人物の裸の肌の調子と似た関係にある。構成上の機能からまったく離れると,そのカーテンは,それがヒステリーヘと堕落する以前の,デ・キリコの絵画的な一貫性の芸術的限界に感情的インパクトを抑制する彼の才能を証明している(注12)。-113-
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