4.《子供の脳》におけるデ・キリコ本来の意図(1910年,〔図7〕)のヴァリエーションであったと考えられる。しかも,《神託の謎》ソービーは,徹底してフロイト流の解釈をしていった。つまり,無意識的に男の子は父親に対して反抗心をもち,母親に特別な愛着心をもつ傾向が強いという,エディプス・コンプレックスの典型的図像に解釈してしまったのである。これに対して,ファジョーロは,デ・キリコの全体像を通観したうえでの,冷静な分析をしている。眼を閉じた画面の人物はデ・キリコ風の注解においては常に父親に結びつき,精神分析的な回避に近い。実際,1924年の絵画《哲学者》〔図3ぶ1915年のフェラーラの素描《予言者》〔図4ぶ1917年の素描《帰還》〔図5〕,1918年の絵画《哲学詩人》〔閃6〕と対照してみると,それは神託であり,『形而上学』の鍵となるモチーフのひとつである。また,(ティレシアスのような)盲日の神託は(ホメロスのような)詩人であり,啓示の時の芸術家に等しく,それは過去の記憶が『未米の記憶』と混ざるときであり,つまり夢想家が予言者に変わるときである。このデ・キリコの絵画は,初期のシュルレアリスムの絵画に大きな意義をもつことになる。たとえば,マックス・エルンストはほとんど盗用に近いものに至っている(注13)。ファジョーロの説は,画面の人物が父親であると同時に,夢想家であり,芸術家であり,詩人であり,哲学者であり,そして何よりも神託を受ける予言者であるというものであった。以上のような言説をふまえつつ,《子供の脳》をデ・キリコの全体像のなかで見直していくと,実はデ・キリコ独自のスタイル=形而上絵画の最初期の作品《神託の謎》はデ・キリコが最も直接的に影響を受けたアーノルド・ベックリンの作品《オデュッセウスとカリュプソ》(1881-83年,〔図8J)を下敷きにした作品であった。デ・キリコは1906年から1910年までミュンヘンに留学していたときに,ベックリンの絵画に接し,大きな影響を受けた。そこに見たものは,「説明できない啓示であり,それは創造的な芸術家に,あの神聖な喜び,すなわちわれわれ人間に許される最も深-114-
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