鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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「ひとつのイメージは,われわれの精神のなかにひとつの驚嘆を一―—時としてひとつ注重ね合わせていった。それは,デ・キリコが本来意図しようとした「説明できない啓示」=形而上絵画とは明らかに違ったものであった。まして,ブルトンの考えを総合的に継承したソービーのフロイト流の解釈は,まさに誤解としか言いようのないものであったのである。デ・キリコによれば,「真に不滅の芸術作品は,ひとつの啓示を通してのみ生み出されうる」(注19)のだという。デ・キリコは,ニーチェがツァラトゥストラに「感動させられて」しまって,「ツァラトゥストラ」を考え出した時のことを例としてあげ,ここに突然の啓示の謎のすべてがあるとした。の瞑想を(注20)というように,デ・キリコは絵画を,驚嘆や瞑想,そして創造の喜びを喚起する啓示の場にしようとしたのである。これこそが,シュルレアリスムに影響を与えったのである。レ・ブルトン,巌谷國士訳,「シュルレアリスム芸術の発生と展望」,『ユリイカ』版として出版したのが1955年のものだった。その前書きに以下の文章がある。「『フイエラ・レッテラリア』の1947年1月30日号で,作者(デ・キリコ)は『初期キリコ』を評して,『ソービー氏に私の名前がキリコではなく,ジョルジョ・デ・キリコであることを理解させよう』と書いている。どのような人物であれ,たとえそれが他の名前で世界的に良く知られているにせよ,生まれたときの名前で呼称されることを好むものである」。(JamesThrall So by, Giorgio de Chirico, The た1910年代だけではなく,デ・キリコが生涯にわたって執拗に追究した形而上絵画だ(1) Andre Breton, Genese er per沖ectiveartistiques du surrealisme, 1941(アンド1991年12月号,87頁)(2) 「美術手帖』1979年2月号(no.445),45頁(3) J.T.ソービーは1941年に『初期キリコ』(TheEarly Chirico, Dodd, Mead & Company, NewYork, 1941)を出版させたが,幾つかの批判に答える形で訂正Museum of Modern Art, New York, 1955, p.11) (4) Dictionnaire Abrege du Surrealisme, Galerie Beaux-Arts, Paris, 1938(アしばしば呼び起こさせ,しかも常に創造の喜びをおこさせるものである」-117--

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