3 テクストにあらわれた構成の展開3-1 テクストの概要るのに対し,現世を示す第2図像群と他界を示す第3図像群とはこのように両者を親和的に結び付けるのみならず両者間の往還を積極的に誘導する諸図像によって強く関連づけられていたと思われる。これらふたつの図像群の組み合わせについては,少なくとも二つの大きな可能性が考えられる。可能性のーは,第2図像群において生涯を終えた人間が第3図像群での悪道巡歴ヘと赴くというものである。これは直列型の組み合わせで,人間は死後悪道を巡歴した果てに善処へ赴くのだという発想に連なるものである。現に水尾本における善処である可能性の強い天道は左幅の左端に配され,地獄を降下した果てに目指すべき位置にあるとも解釈できる。こうした発想の先駆的な作例は極楽寺本であり,長岳寺本においてはこの構造がさらに明確化し,兵庫・松禅寺本十界図などの江戸時代の六道十王図に概念がさらに単純化された形で継承される。可能性の二は,第2図像群と第3図像群とを遺族の世界と死者の世界とに当てはめるものである。死者が悪道をさまよう間にも,遺族には遺族の人生が存在する。第2図像群の位置は悪道をさまよう死者を十王にとりなすのにふさわしい位置であり,現世を生きる人間に対しこの位置関係こそが供養を通じての死者の救済を呼びかけていると解釈することもできよう。両者の間に挟まれた図像は,人生のあるいは悪道巡歴の,さまざまな段階での相互の往還を可能にするという性格を示し,死者と生者との並行関係を強調するものである。いずれも妥当なこれら二つの可能性は相互に排除し合う性質のものではあるまい。死者が悪道を巡歴する今まさに人生を送る遺族もまた,やがて悪道を巡歴する運命にあるが,そのときには彼らの遺族が人生を送っていよう。第3層は死せる父母の現在であると同時に自らの未来でもある。こうした重層性は供養の重要性を理解させる上で極めて効果的であったろう。すなわち,いずれ自らもそうなる運命であるがゆえに生者は死者を供養しなければならないのである。日蓮撰述の伝承をもつ『十王讃歎紗』は1254年の年記のある写本が三宝寺に伝存している。隆晃撰述の『+王讃嘆修善紗』は1418年に原形が成立,1433年に完成をみたことが跛文から確認できる。徹外増訂の『+王讃歎修善紗図絵』は1851年の成立であ-4 --
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