⑩楚桶研究者:日本女子大学人間杜会学部助教授ー.はじめに芸術方面において春秋・戦国時代の楚人は,中国古老文化の精髄を継承すると同時に,周辺の諸民族の風習を取り入れ,突出した才能を発揮した。吊画や漆器の観察から,その題材の豊かさ,洗練された描写は,春秋・戦国時代当時の先進的水準を満たしており,天地に呼びかけ,また鬼神を駆使するといった気塊が,彼らの芸術作品から強く感じられる。さらに楚地の自然風土は,彼らにロマンチシズム的情緒を育んだ。従って作品の中に流暢かつ意のままの線で象られた万物が納められている。そのかたわら,現実杜会の下,この時代の人々は「天命は無常である」との考えを抱くようになり,「天の神はあらゆる人々を親愛するわけではなく,道徳ある者のみに手を差し伸べる」という思想が形成されるに至った。こうした意識的変革は,やがて彼らが人間の力量を重んじ,鬼神を軽んずるとの理念に基づく芸術創作の道を敷くこととなった。このことは中原において,すでに「敬天」という信仰が失われつつあったことを示している。これに関し,同時代の孔子も「たとえ鬼神に対して尊敬の念を抱いたとしても,それらとの間に距離を置く必要かある」との,時代的風潮を反映する興味深い見解を述べている。楚人は,一方で意に介さず大量の幽霊や妖怪,動物の文様を作り出し,これらの神聖化された象徴を借り,ある種の精神的拠とし,また一方では,人間への賛美に力を注ぐという芸術活動に取り組んだ。これが楚文化の特徴と言えよう。やがて両者は,互いに補充しあい,融合し,鬼神との応酬を絶つことなく,人間を崇め尊ぶという時代の流れに入っていった。中でも,楚の彫塑品は最も鮮明な実例であり,その創作活動は中国造形芸術の発展に貢献し,また中原の芸術に比べても,決して立ち後れてはいなかった。最初,人体の造形様式は器物の付属品として表現され,やがて独立した姿で出現した。全国範囲から見て,量的に最も多いのは楚桶であり,また質的には,現実社会の人間像を極めてリアルに表している。干保田-124-
元のページ ../index.html#133