鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
140/590

り木製桶の加工が容易になり,その普及をさらに促進させたものと思われる。陶士および木彫りの桶は,いずれも鋳造された桶に比べ,その製造時間は短く,しかも自在に表現できるといった長所がある。それにより「北の陶桶,南の木桶」という,桶の材料としての主導的地位を固めた。従って,楚桶芸術の確立は,材料によるものと定めることができる。故に我々は,楚桶芸術を研究するにあたり,この最も重要な手がかりを把握しなければならない。このように多種の材料が併存することは,すなわち青銅器による独覇の時代が終結したことを意味すると同時に,中国桶芸術の形成および確立を促進させたと言える。四.楚桶の分類当時,木桶製作にあたっては技術的限界かあり,ほとんどが「直立桶」で,動きのある表現の桶は希であった。そのうえ長い年月を経た末,朽ちてしまうものさえあった。往々にして,それらの桶は何を対象に表現しているか推測できないが,形象をとどめた作品を見る限り,その中のいくつかは,ある程度,楚桶の題材および内容が反映されている。以下の桶類は,その主な例である。第一類は軍事武装類である。陰間の安全を守るために,確かに軍事武装類は最も重要である。その代表は戦国時代の木質の剣を持つ男性桶。湖南省長沙市近郊の楚墓から出土したとされ,現在湖南省博物館に収蔵されている。高さは52cm。鎧を纏い,剣を持つ武士の臨陣の様を表現している。体艦は一本の木で彫られ,両腕は別の木に彫られた後,配された。右腕は少々欠けている。頭部に浅く五官が彫られ,眉に限っては隆起させ剛健さを引き出している。目尻は上がっている。左手で剣を握り,右手は剣の鞘を支えている。体はやや前傾し,両膝は湾曲している。彫刻手法は簡略かつ大まかである〔図3〕。第二類は侍女類である。異なる世界においで快適な生活を望むとの点から,この類の桶の登場は欠かせない。その代表は,戦国時代の木質の彩絵女性桶。湖南省長沙市仰天湖にて出土され,現在北京故宮博物院に収蔵されている。高さは37cm。1面の体は長い木を削って作られており,形態は簡略化されている。短髪,なで肩で,手は袖に入れている〔図4〕。第三類は灯りを持つ桶類である。その代表は,戦国時代中,晩期の青銅質の略陀に乗る男性桶。1965年湖北省江陵県望山M2から出土され,現在湖北省博物館に収蔵され-131-

元のページ  ../index.html#140

このブックを見る