鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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さらに一歩踏み込んで述べると,その1面を墓主と関連を持つ人物あるいは墓主自身であるとの可能性はないわけではない。かなり以前より1面の表現対象は労働階級であるとみなされているが,必ずしもそうとは言い切れない。その他,注目すべきは,一榔一棺の墓からは常に一点あるいは二点の木桶が出土される。それらは墓主自身または墓主夫婦を表現するものと推測できる。長きに渡り人々は,桶に対し一種の凶器であるとの認識を抱いていたようであるが,実際に,その思惟が社会的に認識されたのは,宋代以後のことである。桶の初期である春秋・戦国時代において,人々は,命は長く続くことはあり得ないが,魂は永遠であるとの考え方を持っていたことから,涌あるいは吊画を製作することで墓を充実させ,彼らの精神的拠とした。その表現対象が墓主自身であったとしても,全く不思議ではない。五.楚桶の芸術性春秋時代晩期から戦国時代にかけての楚桶を観察すると,非常に粗末な作品が圧倒的多数を占め,しかも,その一部は,ただ人を象った棒切れに過ぎない。その後,戦国中期から楚桶に著しい変化が見られるようになり,表現する対象が広範囲に及ぶのみならず,着実に芸術的成長を遂げ,鑑賞する者を感動させる作品が多数見受けられるようになった。当然ながら漢桶芸術のように優れた作品は少ないが,春秋から戦国にかけて楚桶の芸術的特徴が形成されたからこそ,漢桶の成就が促進されたのである。以下,楚桶の造形芸術の性質について考察していく。先ず,楚桶の虚と実に関して述べることとする。一つの新たなる芸術の出現には,常にある種の「古拙」が伴うが,楚桶もその例外ではない。素材は細長い木であることから,表現上の難しさがあったにもかかわらず,楚人の工芸技術は極めて巧妙で,その多くが等分の双曲線により,人体の「流線美」が醸し出されている。特に腰の描写が強調され,外観を見れば表現対象は人であることが一目瞭然である。楚桶の造形上の留意点は,全局の表現を忠実に模写するというもので,このことは,仏教伝来以前の主要な中国芸術理論である。多少細部を無視することは,止むを得ないことであろう。しかし,南国の工芸職人は,新しい領域を開拓する過程で,中国の伝統的な芸術理論である「精神的内包を伝える」意図を実現するために,「目」の表現をないがしろにはしなかった。初期の1面は,ただ形体を表現するのでさえ困難であったことが,-133-

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