16世紀に登場する粉青,白磁の胎士は非常に粗く,質のうえでは大きく退行すること存在する小規模の白磁・粉青・灰釉陶を製造する窯,甕器窯が存在することが明らかとなった。ことに注目されるのは,小規模の窯の動向である。小規模窯の点在する慶尚道・全羅道地方で15世紀に製造されていた粉青製品は,非常に緻密で上質である。かわって,がわかった。また,窯構造自体も,単室式窯から,連室式窯へと変わる過渡期段階にあった。こうした現象が小規模の地方窯でおこった背景には,需要者の大きな変化があげられよう。15世紀には,各地に多数の粉青窯が築かれるが,これは結局は14世紀の元や倭寇による侵攻を背景とした金属不足を原因としていたとされる。つまり,朝鮮杜会では金属器こそが,食器の主体であり,陶磁器はその代用品にしかすぎなかったのである。しかし,朝鮮王朝の善隣外交政策が功を奏し,15世紀後半には日本から多量の銅が輸入され,16世紀はふたたび食器が金属器でまかなわれる状態にあったと思われる。つまり,16世紀の朝鮮杜会においては,陶磁器は王宮用の高級品か,あるいは金属器に手のとどかない人々の一部のための器として存在していたと思われる。Dタイプの製品は,このような背景をもっていると思われる。では,唐津陶が朝鮮陶磁の影響を受けたとすれば,どのタイプの製品であったのであろうか。三,唐津陶との比較今回の調査では,九州陶磁文化館所蔵の帆柱窯,飯洞甕窯上・下窯,皿屋窯,道納屋窯,山瀬窯からの出土品,伊万里市教育委員会に所蔵されている市の瀬高麗神窯,焼山窯,阿房谷窯,神谷窯の計9箇所の窯址出土品の調査を行った。ことに,九州陶磁文化館所蔵の陶片は,従来,いわゆる岸嶽系唐津と言われるもので,1594年,岸嶽をおさめていた波多氏の改易にともなって,陶匠も離散したとされる。つまり,唐津の草創期は1580年代から1590年代前半とされ,これは豊臣秀吉の侵略戦争以前にあたる。さて,これら岸嶽系窯の製品について,朝鮮陶磁にもとづいて分類を行うと,全く共通要素の見つからない窯,甕器に共通要素の見られる窯,皿に共通点の見られる窯の3種類に分類されることがわかった。・全く共通点の見つからない窯ー佐賀県東松浦郡北波多村帆柱窯帆柱窯は古くから唐津陶最古の窯とされており,出土品は,碗,皿,瓶などで,藁-142-
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