者の六道転生に先行し,六道思想にあっては六道は亡者がそのうちのいずれか一つに転生すべき所であったはずのものを,このテクストの作者は,十王の裁判に並行して,複数の地獄を経て極楽へと亡者に六道を巡りわたらせるように改変しようと意図していたと思われる。そうした作者の意図と矛盾する『地蔵菩薩発心因縁十王経』を前提としたうえでその意図を実現しようとすれば,当然このように前後の因果関係を明示せず配列順序によって暗示するにとどめるという手法に頼らざるを得まい。『十王讃嘆修善紗』や『十王讃歎修善紗図絵』の作者は,十王思想における『地蔵菩薩発心因縁十王経』の権威を利用しつつ,あらたな他界観を構第しようとしていたのである。彼らが構築しようとしていた他界観は近世の六道十王図において完成する。室町時代の出光美術館本六道絵では十王の裁判と並行して六道の情景が描かれ,最後の第六幅に阿弥陀来迎が描かれ,六道巡りをした亡者が最終的に阿弥陀によって救済されたかのような印象を与える構成をとるが,ここでも阿弥陀の来迎を受けているのは念仏行者であり,六道めぐりをした亡者ではない。すなわち,出光美術館本にあっても『十王讃嘆修善紗』や『十王讃歎修善紗図絵』と同様に,悪道をめぐりわたった後に極楽へと向かう図式を関連づけたい図像同士の併置という形で辛うじて実現しているのである。絵画においてこの内容が直載的に表現されるには長岳寺本六道十王図の出現まで侯たねばならない。こうした六道十王図にあって,さきに論じた転生説話や蘇生諏といった六道世界の移動にかかわる説話の図像は,単に併置されただけであった図像と図像を結び付け,構成にみられるこのような流れを強調する役割を担っていたと思われる。水尾本が示す第2図像群と第3図像群との関係に関する二つの可能性は,鎌倉時代から江戸時代にかけての『地蔵菩薩発心因縁十王経』の注釈書が継続的に増幅してきた二つの内容,孝道の称揚と悪道での苦しみの強調とに合致する。孝道の称揚は遺族に供養の必要性を理解させ,悪道での苦しみの強調は当然自らの将来への不安を生じさせる。またこれは六道十王図ではないが,水尾本に遅れて現れる熊野観心十界図も,現世における人間の一生と他界における悪道巡歴とが上下に配され,その間に「心」字とともに巨大な供養壇が設けられ,供養する現世の人々と供養を受ける死者たちが歩み寄るという,水尾本と類似した構成をみせる。4 現時点における結論と今後の研究の方向-7-
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