清親は不便な木版を棄て,石版の作者になったのかも知れない。幸か不幸か当時日本の石版術は,至って幼稚で,砂目墨摺より出来なかったのである。」として清親は輸入された色摺り石版画を木版で試みたのではないかとしている(注3)。そして近年,山梨絵美子氏はより具体的に明治12年板行の「高輪牛町朧月景」に描かれる機関車の型,描写から,アメリカの石版画会社カリエ・アンド・アイヴス社(注4)の石版画が基となっているのではないかとの指摘をよせている(注5)。当時流入した様々な石版,銅版画を参考としていたのであろうが,ことにカリエ・アンド・アイヴス杜の石版画が清親にとって格好の素材であったと考えられる。清親の東京名所図は横位置で,必ず枠線が施され,枠外の上ないしは下に横書きで画題が表示され,枠外縦には版元,出版年が付されるスタイルをとる。これ以前のそして同時期の浮世絵版画と比較するとこうしたスタイルは異色で,モダンな雰囲気が窺われる。殊に,明治9年8月に出版された「東京新大橋雨中図」〔図2〕を含む4点に限っては英文タイトルが付される版が見られる(注6)。こうしたスタイルはイギリスやアメリカなど当時出版されていた石版画製品のうちではカリエ・アンド・アイヴスの石版画のスタイルに極めて近く,その体裁からも類似性が指摘できよう。清親がカリエ・アンド・アイヴスの石版画を参考としていたと考えられる「猫と提灯」について考えてみたい。「猫と提灯」〔図3〕は明治10年8月に開催された第1回内国勧業博覧会に出品されたもので,特大判であることのみならず,初版は極めて数少なく,相当の気概をもって制作されたことが伝わる,清親の代表作である(注7)。陰影へのこだわり,猫の毛を細い線の集まりで柔らかく繊細に見せるなど,木版画とは別の味わいを志向している。特に注目すべきは猫や提灯,提灯の棒等の輪郭を線や色面の境で表現するのではなく,細かい点の集合で表現している点である。濃淡や影も木版の性質上,網目状に表現されているが,現在の図版印刷の網点と同様の効果をねらったものと解釈できる。おそらく,清親は石版画からこうした技法を取り入れたと考えて間違いないであろう。この「猫と提灯」と菫なり合う作品として,カリエ・アンド・アイヴス社から19世紀中頃の出版とされる「MyLittle White Kitties Into ルの天板の緑,白い猫,鮮やかなカーテンの赤は,「猫と提灯」の画中で意味ありげに網目状の陰影をつけた背景の緑,白い腹毛の猫,首輪の鮮やかな赤と色調を同じくするものである。また,ミルクコップの口の円は提灯の口の円に呼応しているかのようMischief」(いたずらな白い子猫)を挙げたい〔図4〕。画面全体を埋め尽くすテーブ-151-
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