鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
161/590

である。子猫の柔らかい毛並,艶や影,そしてテーブルの緑の陰影は石版画独特の細かい点の集合体で表されており,これらから清親の目指していたものが石版画の調子であったことが自ずと明らかとされよう。ストーリーや道具だてには清親による翻訳がなされているものの,設定,配色,場,表現の仕方には負うところ大きかったと考えられる。カリエ・アンド・アイヴス杜のカタログレゾネ(注8)には子猫を扱ったものが数多く掲載されており,ひとつのキティシリーズを形成しているようである。こうした子猫の図〔図5〕からも倣っていたことは大いに考えらる。ただし前述したが,清親は全く同じ絵柄,構図で,石版画を木版画化しようとは毛頭考えてはいない。カリエ・アンド・アイヴス社の300点近い絵柄を検討したが,配色,人物のポーズ,背景など参考・借用している形跡は辿れるものの,「MyLittle White Kittes Into Mischief」ほどの近似値を挙げることはできなかった。ところが,テーマという点で,極めて気になる清親作品がある。明治13年頃の松木平吉版になる「鉄砲打猟師」〔図6〕「駿州湖日没の富士」〔図7〕である。東京名所図は続々と板行され,「鴨に枯蓮」「カンバスに猫」などの石版画を意識した静物・動物画を描いている時期に突如として2枚続の狩猟図を2点発表しているのである。浮世絵の画題としても,また,当時の画題としても猟師や狩猟をテーマとしたものは極めて珍しいと言わざるをえない。表現の仕方も石版画の風を強く感じさせるものである。カリエ・アンド・アイヴス社の石版画の大きな主題の一つとして“Lifeof a Hunter" が挙げられている〔図8〕。職業としての猟師の様子のみならずスポーツ,娯楽といった分類も含めると相当数の作品が制作されており,レゾネの主要作品図版,作品集など(注9)にも頻繁に登場する,テーマとしては花形であったようである。洋の東西を問わず行われ,共通理解の可能な狩猟の図は浮世絵版画の画題としては特殊であったにせよ,周りの景観や場面,人物の扮装を翻訳すれば作品となり得ると考えたに違いない。果たして,清親のこれらの木版画を浮世絵と呼んで良いものかはこれからの課題ではあるが,版元システムの中に身を置いた終末期の絵師として,木版画に翻訳できるもの,すべきもの,そしてその仕方を最も心得ていたといえよう。カリエ・アンド・アイヴス社の石版画について考えてきたが,もちろんそれのみならず,見聞できる様々な欧米作品からアイデアを得ていたと考えられる。一例としてオーデュボンの動物図譜,欧米新聞の銅版画挿絵〔図9■13〕との比較を挙げる。-152-

元のページ  ../index.html#161

このブックを見る