いつかびしゅなだ灘の美酒,菊正宗,うすはり薄破璃の杯へなつかしい香を盛つてレストラン西洋料理の二階からはやぶね-Old Battersea Bridge(ノクターン:青と金オールド・バターシー・ブリッジ)」やあれそれ船頭か襲`をするよ。五月五日のしつとりと肌に冷たき河の風,四ッ目から来る早船の緩かな艘拍子や,牡丹を染めた袢纏の蝶蝶か波にもまるる。ばんやりとした入日空,夢の国技館の園屋根こえて遠く飛ぶ烏の,夕鳥の影を見ればなぜか心のみだるる。杢太郎の知る両国橋は近代的な鉄橋のはずなのに何故か木橋を連想させる。この詩は柄めて絵画的であり,浮世絵の創作された古い時代の江戸と西洋主義を取り入れつつ,新しい時代の東京を融合させたものと解釈されている(注16)。杢太郎の原風景は清親の東京名所図に,期せずしてピタリと一致することが確認できよう。この詩に限らず杢太郎の詩,小説,随筆等には浮世絵的,ひいては新東京名所図の風景が広がっている。杢太郎は大正元年,清親の光線画に親しく触れたときの印象を「予が少年時代に夢の如く感じてゐた情調の適格なる表現の存するのに驚いたのである。」と記している(注17)。つまり「開化の東京両国橋之図」は杢太郎の夢の再現と考えることはできないだろうか。ただし,「開化之東京両国橋之図」が杢太郎との関係から生まれたものとする資料はない。か,杢太郎ら若き芸術家たちの運動と共に前述した社会的な風潮が,「開化之東京両国橋之図」と同調していることは容易に考えられるであろう。しかし,この「開化之東京両国橋之図」と杢太郎の文学はもう一つの接点で結ばれていることを確認しなければならない。この「開化之東京両国橋之図」はアメリカ人でイギリスで活躍した印象派の画家ジェームス・マクニール・ホイッスラーの1872■3年の作品「Nocturne: Blue and Gold 〔図18〕との類似点がかねてより言われている(注18)。構図の取り方,ホイッスラーが題しているような色の限定,画面の全体の雰囲気は言うまでもないであろう。ホイ--155--
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