鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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注(1) 五姓田芳柳「水彩画の沿革(初年代より二十一年代)」『みづゑ』135号大正5年(2) 「清親の歩んだ道」『季刊浮世絵』10号昭和39年7月(4) 1834年ナサニール・カリエがニューヨークに設立した石版画会杜。1857年,カリ(8)『Currier& Ives A Catalogue Raisonne』GALERESERCH COMP ANY 1984 『Currierand Ives'AMERICA』CROWN PUBLISHERS があったのだ。そして,結果的には印象派,耽美派の絵画をいち早く描いたという清親像が浮び上がってくる。芸術家たちが留学をし,“派”ではなく“会”に属する時代の中で,最後の浮世絵師と呼称され,絵師というシステム中に身を置いた清親が,杢太郎の詩の生まれる世界と,同様の世界をもち得たことはあまり認知されていない。清親の“浮世絵師”という評価も今後考えていかなくてはならない課題である。5月石井柏亭「日本の水絵」『みづゑ』308号昭和5年10月織田一麿「日本水彩画の沿革」同上(3) 織田一麿『浮世絵と挿絵芸術』工家の娘婿ジェイムス・アイヴスが参画してより社名をカリエ・アンド・アイヴスとしている。1907年,同社が閉じられるまでに,都市や田舎の風景・出来事,西部開拓,インディアン,乗馬や狩猟などのスポーツ,肖像画など7000種にも上る版画を出版した。(5) 山梨絵美子「小林清親『高輪牛町朧月景』をめぐって一明治期におけるアメリカ美術の影響ー」「美術研究』338号昭和62年(6) はかに「東京小梅曳船夜図」「東京銀座日報社」「東京橋場渡黄昏景」がある。「東京新大橋雨中図」に見られるように英文タイトル付きの版では枠線が二重で,枠線と枠線との間に色が1色多く入っている。おそらくこれらが初版で,また輸出品であった可能性が高い。(7) 「猫と提灯」は後に初版の版元である松木平吉のもとで明治13年頃再版されている。また,戦後になっては渡辺木版画店でも摺られていることがわかっている。(9) カタログレゾネの他-158-

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