Gin no yonar'Melancholia wo usugi-nar'Kokoro-no-hune ga ; イッスラーの講演録「テン・オクロック(10時の講演)」の翻訳を石井柏亭が掲載している。(26) 清親の肉筆画の制作年代の編年に関しては作品数が少ない上に,落款の使用時期も明確ではなく困難を極めている。概して,洋風表現で描いているものは光線画との関連から明治10年代ころまで,略箪を用いているものは千画会などを盛んに行っている明治30年代後半以降とされている。今回調査した限りでは洋風表現の肉筆画は極めて少ないことがわかったが,少ないながらも,明治2,30年代以降と思われる時期に集中していることが窺える。だたし,初期においても「獅子図屏風」(千葉市美術館所蔵)のように,洋画家たちをも凌ぐ極めて写実的な作品を明治17年に描いていることには驚かされる。明治40年頃に描かれたとされる清親の自画像は〔図19〕,極めて写実的であることに加えて,絵の中で左手で絵筆をもち,わざと印象づけるように右手は開いてみせている。これは鏡を使って描いた自画像であることを,表明しているにほかならない。浮世絵師や日本画家には見られない,洋画家たちの自画像の意識である。晩年にもかれはそうした意識を持ち続けていることは示唆しておきたい。また,明治3,40年代の日本画には影の効果を多用した,〔図20,21〕のような洋風とも取れる作品が見られる。その表現の仕方からも「開化之東京両国橋之図」を含めた清親肉筆作品の制作年代の近似性が看取できるのではないだろうか。Hune Umi no Manaka ni idureba, Hito wa mata Gin-no-hue huku, Sono Hue-no-ne wa hyurhyur-to ni-gorer'Kiri no naka e kieru…… Mata Tuikwai no Whisky no urewasigenar'Huri-kaeri. Hune wa yuk', Hune wa yuk', k'rete-yuk'Miduumi no ue wo…… Rara, ara, rara, Kokoro no Ok'no Tozato no Kure-no-kane nar'…… (24) 『方寸』では明治40年8月発刊の第1巻第4号,同41年1月発刊第2巻第1号にホ(25) 『東京景物詩及其他』(大正2年7月)に掲載。-161-
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