鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
176/590

年12月にはインドのニューデリー国立博物館を訪れ,主にスタイン,ヘディンなどのこれに対し,ブッサーリは,特にミーランの壁画についてガンダーラ美術との関連を指摘し,ガンダーラでは失われたガンダーラ美術の絵画であると論じた(注6)。今回の成果今回鹿島美術財団の助成金により,平成8年5月から6月にイギリスの大英博物館,大英図書館,ボドレイアン図書館,スウェーデンの国立民族学博物館,また,平成8収集品やスタインのノートを見る機会に恵まれた。この結果,楼蘭王国にみられる美術はギリシャ=ローマやガンダーラ様式だけでは説明のつかない要素が含まれていることがわかった。本研究はこれらの研究資料をもとに,織物,建築装飾,壁画に現われる幾つかのモチーフを中心に古代楼蘭王国の美術と西方との関係について述べるものである。織物中国漢時代の絹織物に混じって西方的デザインの毛織物がローラン遺跡やニヤ遺跡などから多数見つかっている。中には遠く地中海世界から運ばれてきたものもあったであろうが(注7)'その他の地域で制作された可能性があるものも混じっているようである。ここでそのいくつかを紹介する。ローラン古城L.A.の東北約7キロに位置するL.C.出土の毛織物の中に,青地に西方の人物を表わした断片がスタインによって発見された(注8)。この人物はカールした髪をもち,目は大きく,明らかに西方系の容貌を示し,その上,ピンクやグレーで陰影をつけたきわめて立体的な表現で描かれている〔図l〕。この人物の左隣りにももう一人描かれているが,残念ながら欠損しているためどのような人物であったかは分からない。しかし,この二人の人物の間にカドケウス杖と思われる文様があることから,この右の人物はギリシャ神話の商業の神,ヘルメスに比定されている(注9)。しかし,熊谷が論じたように,カドケウスはバクトリアのソフィテスの銀貨やサカのマウエスの銅貨,そしてサカのアゼスの銅貨にも見受けられ(注10),中央アジアでも古くから使われていたモチーフであったことが知られ,これをもって直接的な地中海世界からの影響というのは早急であろう。この毛織物断片のように明暗法を使って織られたものに,ホータンの東約30キロに位置する後漢時代の墳墓,ロプ=シャンプラ遺~167

元のページ  ../index.html#176

このブックを見る