14)。生産地については不明であるが,その西洋的表現から西アジアやバクトリアなど15)。このような西方的な陰影法を駆使した写実的な作品が楼蘭王国の外,ほぼ同時代16),写実性が低下しヘレニスティックな様式からは隔たりがある。また,同じ1号墓跡出土の毛織物断片がある〔図2〕。青い目をしたこの人物は頭にリボンダイアデムを巻き,その頭上にはケンタウルスが織り込まれている(注11)。確かにケンタウルスはギリシャ=ローマ起源のモチーフであるが,頭にリボンを巻きつけている点や服装,人物の頭部が変形している事からもわかるように(注12),古典美術表現からの逸脱が感じられ,むしろ地方的な要素が色濃く反映されているようである。また,北モンゴルのノイン=ウラ第25墳墓出土の織物も王侯風人物の顔を刺繍によって写実的に表わしている(注13)。顔の特徴や頭部にバンドのダイアデムをしているところから,グレコ=バクトリアやクシャンの王族の肖像を表わしたものであろうと言われている(注で作られ,匈奴が仲介した東西貿易によってこの地にもたらされたのだとしている(注のホータンやモンゴルなどにも広い範囲で存在していたが,ロプ=シャンプラやノイン=ウラの例からわかるようにギリシャ=ローマとは異質の地方的要素が含まれていたことがわかる。楼蘭から西に約900キロ離れた民豊県ニヤ遺跡の後漢時代と推定される夫婦合葬墓,1号墓からも花綱を持った人物,鳥獣,ブドウなどを織り込んだ毛織の絨毯が見つかっている〔図3〕。ディオニッソスに関する主題が織られているとの見方もあるが(注で出土した藍染め(藤顧染め)の綿の布には明らかにギリシャ=ローマ起源の豊穣の角杯,コーニュコピアを手に持つ人物が織り込まれている〔図4〕。コーニュコピアもカドケウス同様に中央アジアの美術に取り入れられていた。ギリシア女神ティケだけでなくインド起源のハリティもガンダーラ美術のなかでコーニュコピアを持っていることが想起される。このニャの例では仏教的思想と組み合わされている点でガンダーラとの繋がりを感じさせるが,頭光や身光をつけている点や中国的な龍(注17)が描かれている点,またそのヘレニスティックとはいえない独特な表現方法において単なるガンダーラの諸例の模倣とは言えないようである。中国の学者はこれを仏陀または菩薩を表現したものではないかと考えている(注18)。また,この綿布の中央に見られる碁盤の日のようなデザインはガンダーラ美術の中でしばしば登場するものである。また,カピシ様式とも呼ばれるアフガニスタン,カピシ地方パイタヴァ出土の石彫り彫刻にも場面を区切る装飾に使われており〔図5〕,パキスタンやアフガニスタンなど-168-
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