鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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の地域の美術との関連も考えられる(注19)。このように,楼蘭王国出土の西方的様式要素をもつ毛織物には直接地中海世界から運ばれたというよりはむしろ,中央アジアと関連の見られるものがあることを指摘したい。古典的モチーフはガンダーラやバクトリアなどで既に取り入れられていたし,また,ギリシャ=ローマ美術の一特徴として考えられる陰影法を使った織物には中央アジア的とも言える地方的な要素が組み込まれていたからである。制作地は今のところ断定できないが,以上の様な点からこれらの西方的な毛織物が中央アジアで作られた可能性はおおいにあると考えられる。建築装飾文様楼蘭やニヤ遺跡からは木製の住居跡がヘディンやスタインによって発見され,装飾の施された建築用材や家具は大英博物館,ニューデリー国立博物館,ストックホルムの国立民族学博物館,ウルムチの新張文物考古研究所などに収蔵されている。この二つの遺跡は距離的に非常に離れているものの,その装飾文様には共通のモチーフが含まれ,文化的統一性を示している。その中には多くの西方的なブドウ装飾文,グリフィン,パルメット文様などが認められている(注20)。このようなモチーフのなかで色々な花文様が数多く描かれているのが印象的であるが,その中でも特に,正方形や横長の長方形の枠の中に4つの花弁が対角線状に表わされたタイプのものが注目される。楼蘭出土の櫃〔図6〕にはこの文様が表面を覆うように彫られており,ニヤ出土のものには二重の花弁で飾られた花文様が見られる〔図7〕。後者では各花弁の間にも小さな花弁か加えられている。同様のモチーフはミーラン第五古址のヴァサンタラジャタカの壁画の中で建築装飾としても描かれていることから(注21),この文様が楼閑玉国(善闘善)一帯で広く好まれたモチーフであったことが分かる。この文様はクシャン朝時代のガンダーラやマトゥラー彫刻の装飾文様としても頻繁に登場する。前述のパイタヴァ出土の石彫にも見られる〔図5〕。しかし,実際の建築ではこれと同様な装飾は西洋やパルティア建築などではあまりないが,菱形の中にこの花文様が描かれている例がシリアのパルミラ彫刻に表わされた織物の装飾パターンとして見ることができる。もともとは織物などの装飾文様として西方で使われていたこのような花文様が,高貴なもの,あるいはステイタスシンボルとして,ガンダーラや中央アジアで建築や家具の文様として使われることになったのかもしれな-169-

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