Vヽ゜壁画ミーラン(注22)はチベット占領時代の城砦跡と点在する大小14の仏教寺院からなる遺跡であるが,その中でも3■ 4世紀頃の壁画が発見された第三古址と第五古址はその西方的様式でスタインを驚愕させたことでよく知られている(注23)。この二つの寺院では,正方形の壁体の内部に円形の空間が作られ,その中心に仏塔が安置されていた。その仏塔の周りに回廊が廻らされていたが,壁画は円形状の回廊壁面に三段に描かれていた。ミーラン壁画の西方的要素のまず筆頭に上げられるのは,第五古址の最下段である腰壁部分に描かれた花綱(ガーランド)であろう。プットに担がれたガーランドはヘレニスティックなモチーフとして始まり,ローマ時代の石棺に取り入れられたことが知られるが,古典美術のみではなく,クシャン時代の美術,建築装飾の中にも登場し,当時好まれて用いられたモチーフであったことが分かっている(注24)。ガンダーラ彫刻は系統だった発掘によってもたらされた作品か少ないためにその年代や出土地が不明確であるが,カニシカ王の時代において多くの仏教寺院や仏教彫刻か作られたことは定説となっている(注25)。ミーランM.V.に表わされた花綱の本体は,太く黒い帯状に均ーに描かれている〔図8〕。ギリシャ=ローマ美術やシリアのパルミラなどでは果物や植物が写実的に描かれているのに対し(注26),ミーランのM.V.の例では様式化が進んでいる。葉や植物は描かれず,果物と思われるものも白い円形に省略され,本米の意味があまり感じられなくなっている。リボンも白い帯に省略されてしまっている。ガンダーラ彫刻では幾何学的ではあるが葉やブドウなどの果物が表現されており,ミーランほどは簡素化されてはいない。ガンダーラの諸例と類似点としては花綱が太いことかあげられる。ギリシャ=ローマ美術では花綱自体は比較的細く,また所々区切られ,ミーランの例とはかなり違った印象を受ける。ガーランド上部のルネットには西洋の例では神などの顔が描かれていることが多いが,ミーランM.V.では楽器や盃を持ったインド風やイラン風などの様々な男女が描かれている。これはガンダーラ美術にも見られる傾向で,例えばスワット,ブトカラ出土の石彫にも見られる(注27)。カニシカ王創建と伝えられるアフガニスタンのスルフコタルの神殿の装飾からは楽器を演奏している有翼天使が見つかっている(注28)。-170-
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