鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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また,ミーランM.V.ではルネットに描かれた人物像の両側にロゼット文様がちりばめられている。スワットのプトカラで発見された花綱にもロゼット文様があしらわれており(注29),ミーランとの繋がりが示唆される。花綱を担ぐ人物は裸体の童子として表わされるのが通常であるが,ミーランの例では,裸体の童子が頭頂部のみ毛を剃り残した独特な髪形で描かれている。これはミーランM.III.の有翼天使や,キジルの壁画(注30),大谷探検隊将来のクチャの舎利容器(注31),アフガニスタンのテペ=ハザナの塑像(注32)など,中央アジア一帯で時々見られる髪形である。この童子とともに,M.V.ではサカ風の尖頭帽子を被り,衣服を身にまとった人物も描かれている〔図8〕。このように衣服を身に着けた人物か登場するのは西洋の例と相違する点で注目される。有名なカニシカ舎利容器(注33)の胴体部分には裸体の童子とともにクシャンの王と見られる服を着た人物も刻まれており,ミーランとの繋がりが感じられるか,さらに類似した例が古代バクトリア,現在のウズベキスタンに位置するハルチャヤン(注34)から発見されている。花綱を担ぐ童子がミーランと同様に尖頭帽子を被り,同様な衣服を身にまとっている点で注目される。ハルチャヤンの年代については紀元前1世紀という説(注35)や紀元1-2世紀(注36)と学者によって異なる。このように,ミーランに描かれた花綱は確かに古典美術的要素ではあるが,古典美術からの直接的影響とは言い難く,むしろクシャン朝時代の美術に類似する例が見い出だされる。さらにスワット地方に見られるロゼットを配するデザインや,バクトリア地方のハルチャヤンの尖頭帽子を被った人物など,ガンダーラには珍しい地方的な美術表現にも類似が見い出だされるようである。これに関連して,バクトリア地方で使われたカロシュティーと楼蘭王国一帯で発見されたカロシュティーとの類似も指摘されており(注37),この西方的美術様式のクシャン世界からの伝播経路を考える上でも興味深い。ガンダーラからギルギットとカラコルムを越えて入るルートだけでなく,バクトリア地方からシルクロードを経て伝わったとも考えられる。更に,ミーランの壁画か単なるガンダーラ美術としてだけでは説明できない点の一つとしてあげられるのが壁画に描かれた人物に見られる独特な手のジェスチャーの存在である。まず,第三古址壁画の仏伝図を表わしたと見られる断片の左端に見える人物の右手に注目すると〔図9〕,人差指,小指を立て,中指,薬指を折っているジェスチャーがある。同じジェスチャーは第五古址の腰張のルネットに描かれた短髪の男性--171-

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