鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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のジェスチャーとして繰り返し登場する〔図8〕。ガンダーラ彫刻においては,このジェスチャーはあまり一般的ではなかったらしく,その例は少ない。確かにブネール出土(?)の海の神を表わしたといわれる階段装飾彫刻(注38)には同様のジェスチャーが見つかっているがクシャン朝の統治していた他の地城からはこのようなジェスチャーは見うけられず,もともとクシャンのものであるとは言いがたい。現在知られている美術作品でこのジェスチャーが最も頻繁に見られるのは,ササン朝ペルシャ初期の帝王の記念的摩崖彫刻であろう。フィルーザバードにあるアルダシール一世の叙任式図の画面にはアルダシール一世がアフラマズダからダイアデムを右手で受け取っている姿が描かれているが,王の左手はミーラン壁画と同じジェスチャーをしている(注39)。また,アルダシール一世のナクシュ・イ・ラジャブの叙任式図(注40)でも,アルダシールー世の後方にいる皇太子の右手と,画面の右端にいる王妃の右手にもこれと同様なジェスチャーを見ることができる。この作品の近くにゾロアスター教の最高指導者カルデールの胸像(注41)が同じジェスチャーとともに描かれている。これらの例から判断すると,ササン朝ペルシャの浮き彫り彫刻においてこのジェスチャーがゾロアスター教の最高神であるアフラマズダに対する,また,そのアフラマズダから王権を授かった王に対する服従や敬意の念を表わすものと考えられている(注42)。ミーラン壁画の人物に現われたこのジェスチャーも,これら前述の例から推測すると,腰張の上段に描かれている仏伝図の釈迦に服従,敬意の念を表現しているのではないかと推測出来よう。ササン朝ペルシャやガンダーラにミーランと同じジェスチャーが存在するということによって,この絵を見る人々,或いは寄進者がこのジェスチャーの意味を理解していたということになり,これら遠く離れた地域が文化的に共通の要素を分かち合っていたことを示唆している。ガンダーラ彫刻ではスワット近郊ブネールを除きあまり見られないこの特殊なジェスチャーがミーランで使われているのは興味深い。ガンダーラの例はその写実的表現から紀元1世紀の作であるといわれ年代的にはササンの諸例より古いことになるが,ササン朝摩崖彫刻においての頻繁な例を考慮すると,ミーランの例もササン朝時代初期の流行(3■4世紀)と関連づけて考えるのが自然であろう。また,ガンダーラやバクトリア地方にササン朝の初期の王が攻め入っ-172-

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