鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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of the Research Department of the Toyo Bunko 22, 1963, pp. 52-65. 長澤和俊「カロシュティー文書の年代について」『史学雑誌』,1963,72-12, 1 -26頁。「再びカロシュティー文書の年代について」『早大文研紀要』22。(7) 植物文様と波頭文を彙躙帯で挟んだデザインの毛織物の断片も見つかっている。類似の作品がシリアのパルミラ,ドゥラ=ユーロボス,イラク南西のアッタール洞窟遺跡,黒海北岸のケルチや前述のノイン=ウラからも見つかっておりこの種の織物がユーラシアの広い地域に分布していたことがわかる。坂本和子,「羊毛文化と絹文化の遭遇」,『文化遺産』1号,1996,pp.25-33. れた。(同書vol.3, p. 241.) (9) これに対しスタインは,ヘルメスではなく仏弟子を表現した可能性をあげており,生産地もホータン地方であるとしている。M.A.Stein,1980, vol. 3, p.241. (11) 『楼蘭王国と悠久の美女』東京,1992,Pl. 335, 336(復元図)。(12) 頭蓋骨を変形させる風習は,イラン系の遊牧民やトルコ系の遊牧民などの間で行われていた。G.Frumkin, Archaeology in Soviet Central Asia, Leiden & (3) M. A. Stein, Ancient Khotan. Oxford, 1907; Serindia, 5 vols,Oxford, 1921; Innermost Asia. 4 vols. Oxford, 1928. B. Rowland, The Art and Architecture of India. Harmondsworth and Baltimore, 1974. M. Bussagli, The A rt of Central Asia. New York, 1963. F. Andrews, Descriptive Catalogue of Antiquities Recovered by Sir Aurel Stein. New Delhi, 1933 ; Wall Paintings of Ancient Shrines in Central Asia Recovered by Sir Aurel Stein. London, 1948. 熊谷宣夫「西域の美術」『西域文化研究』第五巻,京都,1962。(4) M.A. Stein, Serindia, vol. 3, Delhi, 1980(Reprintofl921), pp.492-547. (5) スタインは“Tita"はラテン名“Titus"のプラクリット形であると述べている。Serindia, 1980, vol. 3, pp. 529-531. M. A. M. Boyer, "Inscriptions de (6) M. Bussagli, 1963, pp. 18-29. (8) Stein, Innermost Asia, Pl. XX X. 1 -2世紀と推定される漢絹とともに発見さ(10) 熊谷宣夫「西域の美術」『西域文化研究』第五巻,京都,1962,42-44頁。Koln, 1970, p. 33. Miran" Journal Asiatique 8, 1911, pp.414-430. -174-

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