⑭ 19世紀フランス諷刺画の中の女性のイメージ研究者:栃木県立美術館主任学芸員フランスの19世紀は前世紀末の大革命によって始まり,第一共和制,第一帝政,復古王政,七月王政,第二共和制,第二帝政,第三共和制と,100年間の一国の歴史としては類例を見ないほどの政治体制の目まぐるしい変転を特徴とする。しかしながらこうした政治変革の裏側には,着実に地歩を固めて杜会経済の実権を掌握していったブルジョワ階級の急成長があったこともまた自明であろう。19世紀初頭には50万人に過ぎなかったパリの人口も,世紀の終わりには200万人に膨れ上がり,世紀半ばの大改造によって中世都市の面影は払拭されて,近代の大都市パリが形成されていったのである。こうした杜会の急激な変化によってパリの中心勢力にのし上がったのが新興ブルジョワ階級で,その需要に応えて着実に部数を伸ばしたのが,1830年の七月革命後の一時的な出版検閲緩和の恩恵に浴して競うように創刊された新聞,雑誌であり,その挿絵として人々の理解を助けたのか石版画による諷刺画であった。本稿では,諷刺画の中に描かれた女性のイメージに注目して,19世紀というブルジョワの時代に,女性が実際にどのような立場におかれ,またそれに対して諷刺画がどのように反応したかを,社会的「類型」の表現を手掛かりに探ってみた。杜会的弱者を笑いの種にするのは戯画の常套である。諷刺には権力の不正を告発するという志の高いものばかりではなく,取り合えず弱い立場のものを物笑いの標的として,一般大衆の不満のガス抜きをするという後ろ向きの役割を果たすものも多い。身体や心の障害者,老人,子供などとともに女性もまた19世紀において,社会的弱者の一貝であったことは疑いを得ない。その女性が諷刺画にどのように表現されたかを見ることによって,19世紀という時代の裏面が露わにされるであろうし,そうしたイメージ(美術)と杜会の関わりも明らかにされるであろう。ーロに女性といっても,その描かれ方は当然,階級によって異なる。諷刺画がまず笑いの種にしたのは,労働者もしくはより下層階級の女性とブルジョワ女性との明確な対照であった。例えば1830年11月にシャルル・フィリポン(1806-1862)が創刊して,1 ブルジョワと下層民1835年の検閲法の強化により終刊した諷刺新聞『ラ・カリカチュール』を見てみよう。小勝糧子-180-
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