鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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2 グリゼットとロレット-1866)による「ロレットたち」〔図4Jである。グリゼットは1827-28年にかけてモニは1841年から43年にかけて日刊諷刺新聞『ル・シャリヴァリ』に掲載された石版画79さて諷刺画に描かれた女性には,ブルジョア,労働者,下層民といった階級を越える女性たちがいる。娼婦たちである。戯画は彼女たちに名前を与えて有名にした。アンリ・モニエ(1799-1877)による「グリゼットたち」〔図3〕と,ガヴァルニ(1804工が出版した3つの石版画集に描かれた。第1集12閃(Gaugainou Ardit刊)と第2集42図(Giraldon-Bovinet刊)は小さい縦長の八折判,第3集6図(Delpech刊)は横長の四折判で,総数60図を数える(注2)。モニエは1825-27年の間何度もロンドンに旅行し,イギリスの諷刺画を学んで来た経歴の持ち主であり,その版画はペン・リトグラフに手彩色という独特のものであった。劇作と役者も兼ね,1830年に登場させたプリュドム氏というブルジョワの典型人物により大当たりをとるが,グリゼットもモニエの創り出した人気作品である。グリゼットとは,復古王政期の労働者階級の女性で,質素な灰色の服を着ていたためにこう呼ばれた。ジュール・ジャナンの描写によれば,若く,純情で,軽はずみな娘で,生き生きとしたうぶな魅力に溢れている(注3)。お金よりも愛を求めるところが,後に続くロレットより素朴で真面目である。学生たちやブルジョワの恋人になるが,結局は自分と同じ階級の労働者と結婚する。こうしたグリゼット像は,ブルジョワ男性にまことに都合のいい愛人としての女性であろう。彼女たちは真心と肉体を捧げるだけで,自分たちの階級に戻るというのだから。モニエの石版画は,膨らんだ袖にウェストを絞ったスカートという当時(ロマン主義時代)の流行の形ながら,無地で装飾のない地味なドレスを着たグリゼットたちの愛らしい仕種と,短いお喋り(絵の下の詞書き)によって,彼女たちを子供っぽく可愛い存在に見せている。まるで彼女たちが怒りや哀しみの感情や生活の苦労に追われることのない人形であるかのように。ガヴァルニによるロレットはもっとしたたかな性格を与えられる。「ロレットたち」図からなる(注4)。ロレットとは,七月王政時代の新しい流行の中心ノートルダム・ド・ロレット界隈に住んでいた中流の娼婦たちを指す。作家のネストル・ロクプランが命名したが,ガヴァルニの石版画が彼女たちを有名にした。1830年から『ラ・モード』のファッション版画を描いていたガヴァルニは,流行の衣裳と女性たちの心理の綾に通じたダンディでもあった。ガヴァルニが『シャリヴァリ』で成功したのは,ドグリ-182-

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