鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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ーミエが有名にした詐欺師ロベール・マケールの女性版を描いてくれというフィリポンの注文に対して,一人の典型人物ではなく,さまざまな女性たちが共有するささやかな偽善や打算を描いた「感情にまつわる女たちの奸計」(1837)を連載したことによる。ガヴァルニの描く女性たちは丸顔でしなやかな肉体を持ち,魅力的に見えるか,ガヴァルニ本人が書いた詞書きが彼女たちのたくらみや本音を露わにする。ロレットたちもまた奸計を巡らす女たちであり,ソファに寝そべっで煙草をふかしたり,トランプ占いに熱中したり,女同士で相手の男の品定めをしたり,娼婦としての手管や媚をつかう場面ではない日常の姿が描かれる。ガヴァルニの諷刺画は詞書きが不可欠で,その中に皮肉や洒落が効かせてあるが,たいていは画面にいない彼女たちの客や愛人である男が問題にされる。例えば第26図〔図4〕では悠然と寝椅子に横たわる女友達に対して黒いヴェールとマントの女が険しい表情で腕組みしている。詞書きは「あたしの男を横取りしたね,あんた!アナトールだからまだしもあんたは運がいいよ,これがエミールだったらただじゃおかないよ,この売女!」部屋着の紐をいじりながらどこふく風といった風情の寝椅子の女のふてぶてしさと,愛人にランク付けをしながら怒る女の計算がおかしい。ガヴァルニはそんな彼女たちを非難しているのではないし,気まぐれで機知に富んだ愛人というガヴァルニ好みのイメージをロレットたちのなかに描いてみせたのであろう。しかし復古王政末期のグリゼットにしても,七月王政期のロレットにしてもそのうわべの魅力の表現には現実の下層の娼婦の悲惨は欠落している。1828年,当時のオルレアン公ルイ・フィリップは娼婦の集まるパレ・ロワイヤルのギャルリー・デ・ボワを取り壊して石造アーケードを完成させ,環境浄化をはかった。しかし1812年から1832年の間に1万5千人から4万人に急増した娼婦たちを蝕む貧困と伝染病の恐怖はパレ・ロワイヤルを追い出されても癒されることはなく,19世紀を通じてますます娼婦の数は増加して世紀末には10万人にも達するとする資料もある(注5)。彼女たちの末路には自然主義の小説家ゾラが書くように,浮浪者となり救貧院で果てるという悲惨が待ち受けている。オノレ・ドーミエ(1808-1879)は1830年に『ラ・シルエット』に最初の諷刺画を載せて以来,フィリポンの『カリカチュール』と『シャリヴァリ』の看板画家として硬3 青鞘派,女性杜会主義者-183-

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