鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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レの喜劇「女性の権利」が上演され,『シャリヴァリ』はその劇評で,無垢な若い女性がジョルジュ・サンドら邪悪な指導者に感化されて女性の権利主張という誤った方向に進むことを警告している(注10)。さらにこの頃から『シャリヴァリ』は女性作家に対して「青鞘派」(注11)という言葉を使うようになり,1841-1842年には同じ版元オーベール杜からフレデリック・スーリエ著の『青鞘派の生理学』か出版される。ドーミエの「青鞘派」シリーズが『シャリヴァリ』に連載されるのはこうした背景においてであった。したがってドーミエの青鞘派攻撃は彼の個人的な主義や志向のみに由来するのではなく,『シャリヴァリ』紙を挙げての反女性作家キャンペーンの一環だということを理解しておかなければならない。であるにしても,ドーミエの諷刺画はどんな批判的文章よりも直接的に訴える力を持っており,またドーミエ自身,青鞘派に批判的であったのも事実であった。例えばスーリエによる「45歳から55歳の間で,痩せて骨張った体に薄い胸をして」という青鞘派の女性の描写は,そのままドーミエの諷刺画の第1図に極めて印象的に描かれる〔図5〕。そこでは「鏡を見る女性」という,絵画に伝統的な女性の美を讃える主題が,逆に彼女の背中と胸の区別の付かない棒のような痩身を強調する結果となっている。絵の下の詞書きにあるスタール夫人の言葉「天才に性別なし!」は,女性が男性と同等の知性を持つという本来の意味ではなく,青鞘派はもはや女ではない,性的魅力がないという当て擦りにすり替わっている。その他のシリーズ全40図の中で繰り返し描かれるのは,読書や執筆,男の編集者との打合せにかまけて家庭を蔑ろにする愚かな女性の姿である。すなわち悪い妻であり母である青鞘派のおかげで,家庭は,子供が盟に頭からはまり,洗濯物は溜まり,部屋は汚れ,夫のズボンのボタンはとれたままという惨状に陥る。しかたなく自分で子供の世話をし,洗濯物をそろえる気弱な夫の姿も描かれる。これは古典的な戯画の手法「あべこべの世界」を使って男が家事をする異常さを強調しているのであって,夫の協力を讃えているわけでは無論ない。ここに描かれた女性たちがみなかぎ鼻でいかつい顔をした中年の婦人であり,攻撃する対象に高年齢と醜い容貌という追い打ちをかけるのは戯画の常套手段である。家庭を蔑ろにする女に対する男の攻撃は,150年前に限らず現代にも依然としてそのまま通じる。しかし「青鞘派」の諷刺はまだ家庭内のいざこざのレベルであって,ドーミエの諷刺画も深刻さが少ない。それに対して次の二つのシリーズでは女性に対する攻撃が苛烈さを増していく。「離婚権主義者たち」(1848年)と「女杜会主義者たち」-185-

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