鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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注1830■1840年代に一旦燃え上かったフランスのフェミニズム運動は逼塞させられ,続4 結語p.14. (Cunoの論文のみの邦訳:ジェームズ・キューノ講述,田邊微訳・解説「七要Vol.3, 1996年所収)。宮原信「『ラ・カリカチュール』とはどんな新聞か」(1/ 2)神奈川工科大学研究報告A人文杜会科学篇第21号,平成9年,54-55頁。本する胡散臭さや反感をよりいっそう蔓延させたであろう。こうした社会状況のなかで,く第二帝政期に20年間の沈黙を余儀なくされることになる。以上見てきた諷刺画が描いた女性のイメージは,19世紀の七月王政期と第二共和制期における女性の立場の一端を明らかに示してくれた。諷刺画は社会の多数の意識を反映するばかりではなく,その一目でわかる直接さからより積極的に新たな社会意識形成に力を振るうことかできた。従来,七月王政に対する華々しい反政府キャンペーンの立役者として語られてきた『シャリヴァリ』とドーミエの活動だが,その延長に反フェミニズム・キャンペーンがあったことはあまり注目されることがなかった。1970年代以降のフェミニズムの視点に立った美術史研究の進展により,ようやく彼ら19世紀の共和派の男性の性意識か問題にされるようになってきている。筆者も今後さらに綿密な調査を進めたいと考える。諷刺画の研究を通して筆者は,広い意味での美術と社会の関わりを探ろうとして来た。本稿ではさらに論を進める余裕はないが,筆者は続いて,こうした諷刺画の中の青鞘派の女性のイメージを当時のサロン絵画の中の本を読む女性のイメージと比較することによって,公式の美術が諷刺画の伝える杜会的現実に対してどのようなスタンスをとったかを検証してみる予定である。諷刺画を通してサロン絵画を見直してみれば,その表面に隠された画家と観者の意識が透けて見えるかもしれないと考える次第である。(1) フィリポンの新聞の購読者については,JamesCuno, "Violence, Satire, and Social Types in the Graphic Art of the July Monarchy" in Petra ten-Doess-chate Chu and Gabriel P. Weisberg (ed.), The Popularization of Images, 月王政期における暴力,諷刺,そして人間の社会類型」『鳩』成安造形女子大学紀Visual Culture under the July Monarchy, Princeton University Press, 1994, -187-

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