鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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せたが,集まった紳士の一人が青色の靴下を履いていたため,そう称されるようになった。日本でも平塚らいてうや与謝野晶子ら明治末の女性作家たちの結社がブルー・ストッキングを翻訳して青鞘社と称し,同人誌にも『青鞘』(1911-16)と冠してむしろ積極的に使い,女性解放のための旗印とした。加藤節子著『1848年の女性群像』法政大学出版局,1995年。第三章「ウージェニー・ニボワイエ」,第四章「ジャンヌ・ドロワン」。年風俗壊乱罪で告発された。ジャン・ラボー,前掲書,129-136頁。図1トラヴィエス「この世で一番ぞっとするもの」「カリカチュール」1830年12月30日図2ドゥヴェリア「この世で一番美しいもの」「カリカチュールJ1830年12月30日(12) Janis Bergman-Carton, The Woman of Ideas in French Art, 1830-1848, Yale University Press, 1995, p.88. (13) サン=シモン主義の教父アンファンタンは結婚制度に囚われない愛を実践し,1832(14) Lucette Czyba,''From Daumier to Flaubert : Caricatures of Feminism in the 1840s and in 1848", in Femme d'esprit, p. 93.プルードンの機関紙『人民LePeuple』1849年4月14日号に掲載された言葉。-189-

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