2.台展東洋画部と南画の再評価植民地の台湾における第一回官設絵画公募展の開催を迎えて,台展主催側の文教局教育会は六月に入ってから様々な宣伝活動や出品勧誘を行っていた。最終的に東洋画部には百七十五点の出品作から三十三点が選ばれた。入選した台湾人画家は陳進,林玉山と郭雪湖の僅か三人だった。彼ら三人の無名な青年画家の入選以上に台湾画壇を驚かせたのは,禁雪渓や李学樵,高橋醇嶺などの,当時名声を博していた伝統的文人画家達の落選であった。粉本主義の排斥と写生の重視,この二つの絵画制作態度は,審査委員の古統と静涯が第一回台展の入選結果を通じて台湾画壇に伝えたかった主なるメッセージであった。この主張はのち審査委員として内地より招かれて来台した松林桂月や勝田蕉琴,また,講演者の澤村専太郎などによってその視野は一層広げられた(注3)。日本中央画壇の思潮の代弁者である松林ら三人が,台湾画壇に寄せたメッセージに共通する点は,簡単に言えば,大正期の日本画壇で引き起こされた「南画再評価」の視点であった。ここで新たに強調すべきなのは,大正期の南画再評価の気運は伝統の再興ではないという点である。南画再評価は中国や日本の文人画,南画の主観的な表現を介して,西洋の立体派や未来派などに匹敵する,新しい日本近代美術を形成しようという側面を持っていた。日本絵画の将来が南画の中に見出されたため,日本画壇が中国の一部だった台湾に寄せた期待は実に大きかった。桂月らの南画再評価の動きを受け,第一回台展に極彩色の花鳥画を出品した古統は,第三回台展より水墨による作品の出品が多く見受けられた。とりわけ第四回台展以降,台湾の雄大な自然を画題にした水墨の「台湾山海屏風』のシリーズが代表作であった。『能高大観』(図2)は台湾新高山の主峰の能高山を描いた作品で,画面の果てまで続く山々には大自然の生命力が満ち溢れている。山の起伏を連ねた表現により,雄大な能高山の中に潜む息づきが画面のこちらまで伝わってくる。一方,墨の濃淡対比を駆使することによって光変化の中で豊かな表情を見せる能高山の姿も同時に捉えられている。会場の人々はこの作品に圧倒され,「誰やら此の絵の前に立つて『ドンキホーテの力作だ』と云つた」,という評論家の言葉が残されている。翌年に古統は台湾の東海岸を描いた『北関怒潮』を第五回台展に出品した(注4)。高く巻き上げられて速いスピードで海岸に押し寄せる太平洋の波は,激しく岩石に突き当たり,その衝撃によって波は白い飛沫と化し,四方に飛び跳ねている。この作品は,「岩をかむ怒涛と空と天地が将に融合せんとする所を郷原一流の覇気を横溢させて描き出した傑作である」と-193-
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