鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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言われ(注5)'第五回台展開催前から会場の第一の呼物と目された。その後の第八,九回の台展には『台湾山海屏風』シリーズの『木霊」と『内太魯閣』が発表された。『木霊』〔図3〕は阿里山の檜の森の中に盗える樹齢千年を越える「神木」を主題にしたものである。神木は空に向かってなおカー杯に枝を伸ばそうとし,旺盛な生命力を見せる。その根本では日差しが殆ど遮られているにも拘らず,様々な植物が群がり集まり,生き生きと艶を見せている。一方,『内太魯閣』では中央山脈の湖から内太魯閣の峡谷に流れ込む渓流が描かれている。雨季のためだろうか,その水量は普段よりも増加し,河床の岩を押し流す勢いで流れていく。その両側に魯える大理石の表面に現れた流線の紋様は,川の勢いを一層強調している。このようなものの形態に対するより主観的な捉え方は,第七回展の『端山の夏』において既に先行的な試みが行われていた。『木霊』と『内太魯閣』の制作において古統は創作上の新たな確信を得て,それぞれの右の扇に「此中真有味」(筆者注:この中に真に味がある)という印を押した。『内太魯閣』の制作を最後に翌年の春に古統は伯父に呼ばれて日本に帰国した。総じて古統の台展時代の水墨作品は大画面の細密描写を特色とし,しかも1日米の技法に捕らわれることなく,常にその跛法や点描を工夫して独自の解釈を見せている。伝統的文人画の近代化や南画の再評価と言った視点から展開を見せた古統の台展時代の南画的な制作に対し,台湾画壇が見せた反応としては,「春萌画会」における南画研究が重要な意味を示した。同画会は台湾南部の嘉義や台南出身の,台展東洋画部入選者を集めた絵画団体で,昭和四年創設当初から日本画と近代南画の研究も同時に始められた。その成果はのち第七回台展に現れ,会員の播春源,朱苦亭と徐清連が出品した『山村饒色』,『宿雨収』,『秋山雨寺』が南画の新傾向と呼ばれるに至った。古統は「春萌画会」に直接の指導者としてその研究活動に参与しなかったが,創設当時に古統は会貝らに祝いの手紙をよこし,更に春萌画会の会員の中では,古統が指導する「栴檀社」に加入する人が多かった。春萌画会の行った南画研究に対する古統の影聾は間接的ではあるが,無視できない部分が確かに存在している。更に台湾人日本画家の方では郭雪湖が昭和六年以降新たな画風の追求を始め,第六,七回台展に南画的な作品『朝霧』と『南瓜』を完成した。彼のこの画風転換を評論家は古統の優れた指導の結果と見倣し,評価していた。台展東洋画部の出品者の中に伝統的文人画の流れを汲む職業絵師出身者が多く,彼-194-

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