注(2) 台展開催の経緯に関して下記の現存文献が参考できる。「台湾美術展が生れ出る迄(3) この点に関しては下記の参考文献がある。松林桂月「台展審査に就て」『台湾教育』(4) 「壷展を観る」『台湾日々新報』昭和五年ー一月三日付頭角を現した陳進ら台湾人日本画家は,第七回展前後に大きく成長し,次の世代の台湾人日本画家を育て上げるほどの実力を身に付けた。評論家の鴎亭生はこの年,台展の初期時代が終わり新しい時代に入ったと見倣し,同時に古統に対し「台展を育てて来た親方として其の功を没することは出来まい」と述べ(注7),台湾画壇における古統の位置付けを行った。ところが,古統の『台湾山海屏風』シリーズが示しているように,教育者という一側面のみならず,画家古統は台湾人日本画家と同じように台展の提唱する「ローカルカラー」の実践者でもあった。この点こそ今日我々が近代における「台湾日本画」の様相を探求する際に,古統の在台画業を無視できぬ最たる理由であろう。(1) 『在豪の信州人』日本公論社台湾支局大正一四年一頁の経緯」『台湾日日新報』昭和二年ー0月二八日付/塩月善吉,「台湾美術展物語」『台湾時報』昭和八年ー一月号二七頁/若槻道隆,「台湾美術展創設前後ところどこと」『台湾時報』昭和ー0年ー一月三二頁/古統華,「台湾美術展十周年所感」『台湾時報』昭和ー一年ー0月号ニー〜ニニ頁昭和四年三二九号一〇七頁/勝田蕉琴,「勝田,南書伯の講演會開催」『台湾日日新報』昭和五年ー0月ニー日付/澤村専太郎,「日本書壇の現勢」『台湾日日新報』昭和三年ー一月九日〜ー五日付(5) 「海を描いた」『台湾日々新報』昭和六年ー0月一九日付(6) 平成八年三月二二日黄早々との談話記録による。(7) 「今年の憂展」『台湾日日新報』昭和八年ー0月二九日付-197-
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