鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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のにも現象学の影響はみられ,また現象学的な作品解釈がセザンヌ論にのみ限定されてきたわけでもない(注3)。例えば早くも1914年にミュンヘンのデルフィン書店から刊行された,美術史家フリッツ・ブルガーによる「セザンヌとホドラー:現代の絵画の問題に関する概説」にも現象学への言及は見られる(注4)。この本は,例えばベルグソンの哲学を適用しながら当時の現代美術を解釈していこうとしたものであるが,ピカソのオルタ風景画の解釈に際して,フッサールの「厳密な学としての哲学」(1911年)の中の一節を引用し,ピカソが行ったことは,まさにフッサールが認識論として述べたことを絵画において実行しているのだ,と断じている。ここでプルガーが引用するのは,フッサールが「本質直感Wesensshau」について述べた箇所で,要約しておくと,意識の志向の対象となるものの本質は,「経験作用とは全く異なった種類の直感作用」によって把握され,それは「漠然と表象されること,あるいは記号的に表象されることもある」(注5)。ピカソのオルタ風景画は,このような表象であると言っているのである。メルロ=ポンティのセザンヌ論のみならず,さらに1950年代から1960年代前半にフランスで行われたいくつかの現象学的な近現代美術解釈の議論を踏まえて,ロベール・クラインは,「近代絵画と現象学」という文章を1963年に発表している(注6)。これは,近代美術の展開を現象学の言葉を借りて説明することの可能性を検証しているもので,さらに言えば,現象学の発展と近現代美術の展開とを重ね合わせて論じるという,ある意味で実験的な試みであった。クラインはまず,近代美術の歴史をあらゆる「対象=参照(reference)」の捨象の過程として捉えることから始めている。「対象=参照」とは,描かれる対象であり,形象化のためのジャンルなどの規範や約束事であり,先行する作品でもあったりする。こういったものが次々と疑問に付され,捨て去られていくと,行き着くところは絵画それ自体を「参照」する絵画ということになる。このように絵画は自己参照するものとなったというのが当時の現象学的な美術批評の主な論点であった。だが,その一つ前の段階として,知覚や意識の活動の構造をひたすら描写するということがおこり,それこそフッサールが哲学の領域で,セザンヌが絵画の領域で行ったことであった,とクラインは言う。現象学とは,何かあるものを志向している意識に対して,そのあるものが与えられる与えられ方の構造をひたすら記述することから始まる。メルロ=ポンティの描いたセザンヌ像もまた,「知覚されたもの」を描くのではなく「知覚すると-201-

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