鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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注(2) Maurice Merleau-Ponty, "Le doute de Cezanne", Fontaine, 1945年6月号(3) セザンヌ作品の解釈史については,JudithWechsler, The Interpretation of Cezanne, Ann Arbor, 1981を参照。(4) Fritz Burger, Cezanne und Hodler : Einfurung in die Probleme der Malerei der Gegenwart, Mi.inchen, 1914 (6) Robert Klein, "Peinture moderne et phenomenologie", Critique, XIX, Meaning: Writings on the Renaissance and Modern Art, Princeton, 1970, pp.184-199) てブルガー自身表現主義的な作品を残した画家であり,青騎士の画家マルクとは親しい友人でもあったのである(注13)。とすると,ミュンヘンで活発に行われた現象学の美学的な議論を,マルクもまたブルガーを通して聞き知っていた可能性は十分に考えられることではないだろうか。そしてさらに青騎士の他の画家たちも現象学に対する知識があったことも可能性としては指摘できないであろうか。もちろん,このような直接的なフッサールの現象学と青騎士の画家たちとの関わりは,現時点では全く推測の域をでないことであり,さらなるマルクやカンディンスキーらの遺稿や,1910年代ミュンヘンでの人的交流の調査が必要とされる。しかしながら,青騎士の画家たちが,これまで論じてきたように,彼らの美学的な主張を,当時の認識論をめぐる思想的コンテクストの中に置いて見ることによって,現象学と同一の「思考形態」を有していたことが指摘できる以上,カンディンスキーやマルクも,絵画的表現による意味生成の問題を探求した画家たちであったという姿か浮かびあがってこよう。その探求の様相を実作品に基づいて論じるのが,この研究の次の段階である。(邦訳「セザンヌの疑惑」『意味と無意味』みすず書房,1983年)フッサール」中央公論社,1980年,p.140(1) Will Grohmann, Wassily Kandinsky: Life and Work, 1958, New York, p.118 (5) エドムント・フッサール「厳密な学としての哲学」『世界の名著62ブレンターノ,1963, pp.336-53(英訳“ModernPainting and Phenomenology", Form and -207-

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