鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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A.本尊(薬師如来)は右手の親指と頭指を捻じ,左手には薬器等持たず,いわゆるみたい。『敦煙莫高窟内容総録』(敦燻文物研究所1982年刊)によって,まず各時代ごとの薬師経変の遺例を求めると以下の数字が得られた。ここに見るとおり敦燻には南北朝に遡る薬師の遺品は認められない。また変相図以外の独尊像や中尊像といった単独像では,初唐のものが3体,盛唐になると130余体,中唐でも約140体を数えた。言うまでもなく薬師には図像の曖昧さがあるため,これらを必ずしも確定した数字と見るわけにはいかない。ただこの数字にあっては,薬師の図像が定型化される以前,他の仏像と同じ通仏相であるため識別が困難なことも大きく関係していよう。まず隋代の薬師変相図から確認できる特徴的な図様として,以下のものが挙げられる。説法印を結んでいる(第417,433窟)。らは神将形をとらず菩薩形に表される(第417,433, 394窟)。隋代の場合,通仏の印相をとる本尊からは薬師と断定しがたい。図像的に薬師変相図と見なす根拠は,Bに挙げた燈明台の存在で,経典に車輪の如しという「七層之燈」あるいは「七燈」に該当すると目される。『灌頂経』では一層に七燈を配置する「七層之燈」を言い,総じて四十九燈が一つの単体をなすものを指すが,他の3訳では七躯の如来像すなわち七仏薬師像の前に各々「七燈」ずつを配する供養法について述べている。第417窟では仏前に6層の燈明台1基,第433窟は脇侍菩薩の左右に9層からなる燈明台2基が描かれ,これらは経典の記述と必ずしも一致しないが,他の変相図には見られない燈明台の存在はやはり薬師変相図の一つの特徴的な図相と見なせよう。さらにCについても,姿は概ね菩薩形ながら,12体からなる一群の像が表されていることから十二神将像と解し得るもので,十二神将はあくまで12という数字で表すという原則が働いていることを窺わせる。以上により,薬師自体の姿はともかくも,燈明台および12体の像からなる十二神将の存在を,陪代薬師経変の図像的特徴として認めることができよう。次いで唐代の場合はどうか。経典には,薬師の浄土である東方瑠璃光浄土の有り様隋4初唐1盛唐3中唐21晩唐31五代21宋9西夏7B.仏前あるいは左右に円輪状の燈明台を描く(第417,433窟)。c.燈明あるいは光明を放つ宝珠をもって詭坐礼拝する十二神将が描かれるが,これ-211-

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