鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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b.十二神将は甲胄を身に着けた神将形のものがあらわれる。c.変相図の外縁部左右あるいは下部に十二大願および九横死が描かれる。を詳細に説いたものは無く,「如西方極楽世界,功徳荘厳等無差別」(『薬師瑠璃光如来本願功徳経」)との語句に示されるように,阿弥陀仏の西方極楽浄土ととくに違いがないとされている。これは阿弥陀経典を前提とする薬師経典の性格,出自を物語る箇所として知られるが,事実,唐代以降の薬師経変は,阿弥陀変相図と酷似した広大な楼閣や靡多しい聖衆を伴う浄土の景観が描かれた浄土変相図として表現されるようになり,中には一瞥しただけで両者を識別することが困難な場合もある。薬師と特定する根拠は,図像的には以下のようないわば登場人物と浄土図外縁部に付加された図様の存在如何となる。a.薬師如来は左手に薬器を執るものがあらわれる。aに関して,薬師如来像が薬器を執ると規定したものは不空訳『薬師如来念誦儀軌jに「以種々雑賓荘厳。安中心一薬師如来像。如来左手令執薬器。亦名無債珠」とあるのが唯一のものとされる。これは盛唐の天宝年間(742-756)以後に漢訳された密教儀軌だが,松本栄一氏の「かかる密教儀軌によって浄土変相中の薬師如来がつくられるわけのものでなく,この薬師の形は更に古き時代よりの造像習慣に従ったに過ぎぬと解すべきである」との指摘は傾聴に値する(注4)。確かに隋代の遺品の内には,小金銅仏で片手に薬器らしい鉢状の持物を執る如来像も存在するし(注5)'敦煙壁画で薬師仏に比定されているものは,概ねこの種の像と目される。我が国でも薬師像といえば器形として薬壺をもつものが一般的で,薬器=薬壺こそは薬師と特定する最大の根拠となり得る。ところで儀軌にある「無償珠」は如意宝珠のことで,薬師は宝珠も執ることが知られ,『阿婆縛抄』によれば最澄が渡海安穏のために鎮西でつくった薬師像4体はすべて左手に宝珠を持っていたという。ただ『大日経疏』第五には「若諸仏菩薩。経中不言所持印相者。亦執此無憤珠。皆得也」と,宝珠が諸仏菩薩に共通する持物であると述べている。ゆえに宝珠については,薬師固有の持物と見なすわけにはいかない。さらに近年,松原智美氏は,敦煙第217窟に釈迦が鉢を執る図があることを理由に,鉢状の持物を執る如来像を薬師と特定することはできないと主張された(注6)。松原氏の見解は後述する第220窟の図像解釈に伴ってのもので,本稿でも後に改めて取り上げるが,とりあえず私見を述べると,氏が例に挙げた釈迦の姿は,仏伝上の故事を描いた場面-212-

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