のがあり,その場所も変相図の左右が基本であるが,下縁部のケースもある。一敦燈第220窟北壁画の図像解釈一敦煙第220窟北壁画については,主腺に七体の如来立像が並列するところから,七仏薬師と見る説と過去七仏とする説を生んでいる。これまで長らく七仏薬師説が有力であったが,最近,前述した松原氏による否定的な見解が提出された。ことは七仏薬師のみならず薬師図像全体に波及する問題と思われるので,ここでは今回の調査研究および実見の成果を踏まえていささか私見を述べてみたい。七体の如来像は,向かって左から第1躯は左手に鉢状の器,右手に錫杖,第2躯は左手に同じく鉢,右手錫杖,第3躯は左手念珠,右手錫杖,中央となる第4躯は左手鉢,右手錫杖,第5躯は左手不明,右手念珠,第6躯は左手不明(鉢とも,また環状のものとも見られる),右手錫杖,第7躯は左手念珠,右手鉢,と各々持物を執る。第5および第6の左手のみ不明だが,概ね鉢状の器,念珠,錫杖である。鉢状の器はどれもガラスのような透明感を感じさせる描き方がなされ,また念珠についても,これを無憤珠の一種と見なし得るならば,これらは先述した薬師の持物としての条件を満たすものと言える。なお図には貞観十六年(642)の題記があることから,初唐の作例として扱われている。松原氏は,敦煙壁画における薬師経変が初唐期の作例は本図のみで,これを除くと「隋代の諸例は説法図形式で如来は持物を執らないのに対し,盛唐期以後の諸例はいわゆる浄土変相図の画面構成で,如来は錫杖や鉢を持つ例が多いというように,前者と後者との間には明確な相違がある」として,初唐期の本図を薬師経変の一例に加えることに否定的である。確かに敦煙壁画の遺品だけで判断すると,本図の存在は,前後の作例に対比してやや唐突に出現したかの感があるが,先述した碍仏の例が示すように,持鉢.錫杖型の薬師像は盛唐以前,初唐に成立していた可能性を否定できないように思われる。次いで問題なのが十二神将である。画面左右の宝台上に菩薩や力士像に混じり,甲冑を身に着け,さらに頭部に動物の冠を付けた12体の神将像が描かれている。これを八部衆と見るか,十二支獣を標織とする十二神将と見るかで意見が分かれているわけだが,動物の図様は剥落のため判別が難しい。郡健吾氏は蛇,龍,兎,虎を挙げられたが(注9)'松原氏は蛇のみ確認できるとし,他に迦楼羅らしきもの,部氏が兎とし-214-
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