鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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ケットから引き離すため大自然の中に制作•発表の場を求めた活動である。美術や環置されるのは公園であって,それが実際に何処まで反映されたのかは非常に疑問である。その解釈はひとまずデータベースにも収録した当時の文献を参照することとし,ここでは美術と社会とを結ぶ接点と考えられる野外展においてどのような性質,機能が作品に負わされているのか考えてみたい。まず第一に室内とは比較にならない広い空間への対処として,必然的にある大きさが求められる。作品の多くは数メートル,あるいは十数メートルの規模を持つ。また戸外の展示に耐えうる特有の強度,耐久性も必要である。さらに「芸術のための芸術」を称揚する装置ともなった無機質な屋内展示室と異なり,野外展示場では作品を鑑賞する視点も当然屋内作品とは違うものになるだろう。野外彫刻が非自律的な存在である以上,作品は周囲の環境の上に成立することになるが,美術という制度,枠組みでは捉えきれないオープン・スペースにおいては,その作品にどのような意味があり誰に向けられているのか,何を訴えたいのか様々な観点からの追求を受ける。都市整備や公共利益等の面からの価値基準も当然関わってくるだろう。私は以前から「野外彫刻」に対して,マッスばかりが強調され作品として知覚しにくい,作品性を十分に咀哨することが困難な印象を抱いていた。「野外彫刻」の短い歴史のなかで,かつてない規模の空間に拮抗しかつ美術作品として存在意義を高めることは容易ではない。「公園を飾る」目的からすれば強烈なメッセージ性や作品性から時に邪魔に映るよりも,かえって気付かれない程度の方が相応しいのかもしれない。いずれの彫刻展とも独自の強い個性は持ちにくく,作品と設置される場との関係は希薄である。実際こうした展覧会で受賞した作品は各美術館等に買い上げられ,任意の場所に設置されていたのである。けれども既存の枠組みから抜け出しなおかつ美術作品として成立するためには,自らその作品性を保証するためにその作品が存在する空間と十分拮抗し得るだけの力を持ち,その場所に位置する必然性を感じさせることが重要なのではないだろうか。この問題は宇部・須磨に代表される野外展のみに課せられるものではないが,関根伸夫の「位相ー大地」(第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展,1968年)のような画期的な作品を生みだした「野外彫刻」展が次第に前衛的,野心的な現代美術の領域から抜け落ちていったのは,この場所だからこそ存在し得るという作品性が不足していたからではないかと考えられる。場所性を重視した動きの一つとして,1960年代末よりアメリカを中心に起こった「アース・ワーク」がある。商業主義に陥っていた当時の美術状況に抵抗し,作品をマー-221-

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