鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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が1990年以降増加傾向にある都市型展覧会である。「ミュージアムシティ・天神」(福境に対して新たな身ぶりを提示したものの作品を実際に目にするのが困難なことから,結局二次的な記録がギャラリー・スペースで鑑賞されるという矛盾を生んだのだった。日本でもアース・ワーク的試みはいくつか行われているがアメリカほど規模は大きくなく,自然の中の営為という点では個人的な活動よりもむしろ多くの作家が集まる野外展が目立つ。1980年からの「浜松野外美術展」,81年からの「びわこ現代彫刻展Jは共に砂浜や湖畔という限定された環境の中で開催された。公園や屋外展示場を舞台としたそれまでの野外彫刻展では,野外ならではの特性がしばしば作品のサイズや素材に現れたが,これらの野外展では水や砂という環境を積極的に取り込もうとする多様な作品が展観された。水に浮かべる,地を這わせる,石灰をひく,木やパラフィンを燃やすといった手法が全て作品に昇華されたとはいえないが,完成された作品をアトリエからそのまま運んで設置するのではなくその場から直接作品を作り上げていくという,設置場所すなわち制作現場となるような状況が多くみられる。こうした形式をとる展覧会は80年代後半以降も各地で企画され,風景や環境と一体化する作品制作か続けられている。作品を提示するための新たな場所の模索と場所性を重視する志向は80年代以降,ますます高まっていったと言ってよい。1987年多摩川にかかる鉄橋の下にインスタレーションを行った川俣正は,82年より民家に木材を仮設する「アパートメント・プロジェクト」を開始する。三上晴子は85年恵比罪のサッポロビール工場跡廃墟に廃物彫刻を展示し,杉山雅之は86年京都の住宅街の中の空地に鉄とコンクリートによる仮設構築物を設置した。またPHスタジオは家屋の廊下部分のみをきれいにくり抜いた「ネガ・アーキテクチャーNo.2」を,田窪恭治・鈴木了ニ・安斎重男の三人は解体前の家屋の梁のみを注意深く抽出して見せた「絶対現場1987」を制作している。こうした活動に示されているのは,かつての公園や自然環境,作家の自宅等を舞台とした展示と異なり,都市の直中で不特定多数の人の目に触れえるプレゼンテーションの一傾向である。現実の生活と擦りあわされた場所,しかもそれが以前のように作家の個人的な場所ではなくアノニマスな要素を持つことから,杜会空間のなかに美術作品が「侵入」「介入Jしたような,また鑑賞する意志を持たない人の前に突然作品が突きつけられるような状況が生み出されている。こうした動きの展開形と考えられるのが,今回データベースには収録できなかった-222-

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