3—中央奥〕。1901),ヴィンチェンツォ・カビアンカ(1827-1902)など,フィレンツェのカフェにッティ美術館所有,〔図16〕参照)。この作品は14世紀フィレンツェ市民が招聘した全権指揮官を追放した史実を描くことによって,1859年オーストリアのレオポルド大公を追放したイタリア国家統一運動の重要な事件を示唆した作品で,完成作が統一後の最初の国主催の展覧会で成功をおさめている。ウッシのこの作品が19世紀美術展示室の前半最後に置かれている意図は,イタリアの近代美術の動向を,オーストリアやフランスからの支配から脱する「リソルジメント」(イタリア国家統一運動)と同調した流れとして捉えようとする意思の現われであろう。また,ウッシ作品の右隣に展示された入り口から正面にみえるフランチェスコ・ハイエッツ(1791-1882)の〈シチリアの晩鐘〉(1846)は,1282年の復活祭の翌日,殺害された花嫁花婿の復讐のためにシチリア島民が当時征服者であるフランス兵を虐殺した事件を題材とした作品である〔図このような展示は,戦後30年間,ローマ国立近代美術館で館長職にあったブカレッリ女史が,「オットチェントの芸術はイタリア美術を反映しているが,しかし,その芸術は国境の外の芸術の中では劣っている」と断じて(注3)'美術館の見学コースの最初に19世紀から20世紀の外国作家の作品を(クールベから,ラファエル前派,ドガ,モネ,セザンヌ等の印象派,クリムト,エゴン・シーレ,そしてピカソ,ブラックなど)設置していた展示方法とは対照をなすものだろう。美術館の改修が終了する2年後,最初の施設が19世紀美術館となった際の展示が注目される。同施設の右半分には,「ナポリ風景:伝統的17世紀の視覚から,本当の印象まで」で,戸外風景を探求したフィリッポ・パリッツィ(1818-1899)の作品,「ニーノ・コスタの熟考されたスタイルとトスカーナ地方におけるナポリ文化の変容」ではフィレンツェの画家たちに風景画のスタイルを伝えたとされる,ローマの画家ニーノ・コスタの明るい風景画,そして「カフェ・ミケランジェロとマッキアの小品」というコーナーに続き,ジョヴァンニ・ファットーリ(1825-1908),テレマーコ・シニョリーニ(1835-集って新しい絵画表現を求めた画家たち(マッキア派)の小品が並ぶ〔図4,5〕。さらに「リアリズムと南の流派:トーマ,ジェミート,マンチーニ,パティーニ,ミケッティ」では南イタリアの真実主義と写実主義の動向を示し,「ドメニコ・モレッリの歴史画の展開」はマッキア派に鮮やかな明暗効果を伝えたモレッリの作品〔図6〕が続く。「リソルジメントの称揚」ではファットーリやシニョリーニの戦闘場面の作品,-230-
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