ョンが移されたのは1920年頃で,1924年に開館する。戦時中も重要な作品の購入を続けるが,第二次大戦後は50年代中頃まで実質的な活動はしていない。その後も,フィレンツェ賞を獲得した作品を購入し,レオン・アンブロン等から寄贈を受けている。そして,サンドロ・ピントが70年代に館長として就任することによってコレクションは再編され,1979年に,30の展示室に2000点を越える作品が公開される。現在の館長カルロ・スイーシは,近年,展示の再構成を始めている。入り口付近の数室が閉鎖され,現在20世紀美術の展示が予定されている。また,展示室全体の内装も新しく整い,特にマッキア派の小作品に関しては部屋の中央に展示ケースが設置され,鑑賞が容易になった。ている前半の展示室の内,現在は,第2室から第6室までは閉鎖されている。そのため第1室の歴史画の次には,第7室のピエトロ・ベンヴェヌーティ(1769-1844)による同時代の主題による歴史画くジェナの戦いの後のサクソンの誓約〉(1812)が現われる〔図11〕。この作品は,当時フィレンツェ美術学校の教授を務めていたベンヴェヌーティが,当時の支配者であるナポレオンに委託されて描いた作品で,劇的な明暗効果を用いながらも,書き割りのような空間に,ダヴィッド流の新古典主義様式の影響を示している。このように第9室まで,イタリア国家統一運動前夜のフィレンツェにおける公的な芸術様式の傾向がフランスに影響を受けたことを示唆しながら,第14室では,19世紀中頃の自然主義的な傾向の風景画か展示されている(第10室から第12室も閉鎖中)。それらは,1861年にフィレンツェで開催された内国博覧会に出品した作家の作品が中心となっている。その中でもセラフィーノ・デ・チボリは,1855年のパリ万国博でバルビゾン派の画家トロワイヨンやローザ・ボヌールに影響を受けて,フィレンツェの若い画家たちに自然主義的な風景画の様式を伝えた作家で,「マッキア派の父」とも呼ばれている〔図12〕。奥に位置している第16室には,マッキア派の理論的中心人物であり,経済的な擁護者でもあったディエゴ・マルテッリのコレクションが展示されている。マルテッリが所有していたマッキア派の主要な作家,ジョバンニ・ファットーリ,シルヴェストロ・18世紀後半から19世紀前半にかけての歴史画や肖像画を中心とした作品で占められ第15室はマッキア派の一員であり擁護者でもあったクリスチアーノ・バンティ(1824-1904)とジョバンニ・ボルディーニ(1842-1931)の小品が並び,近代美術館の最も-232-
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