鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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1868)の小品が大半を占めている。それらの作品は,粗い筆触の残る単純化された色第17室には,美術館が購入を続けたマッキア派様式の作品が続き,第18室にはイタ15〕は,1861年のフィレンツェ美術擁護協会展に出品し,同時代の戦争を描く画家と第20室には,ローマ国立近代美術館で,その習作が展示されていたウッシのくアテ24室には1947年にレオン・アンブロンから寄贈を受けたコレクションがある。さらに第25室から第29室〔図19〕にかけては19世紀後半から20世紀初頭にかけてのトスカーC.他の美術館の19世紀美術コレクションレーガ(1826-1895),ヴィンチェンツォ・カビアンカ,ジウゼッペ・アッバーティ(1836-斑(マッキア)によって画面が構成されている特徴を兼ね備えている〔図13,14〕。リア統一運動における戦争を主題とした大画面の作品が並ぶ。特に,オーストリア軍との衝突を描いたファットーリのくマジェンタの戦いの後のイタリア軍キャンプ〉〔図して一躍名を知られる契機となった。本作は,第7室のベンヴェヌーティのような様式化した構成でなく,戦闘の終了した風景を,画家のスケッチなどをもとにして描かれている点で近代的であり,荒い筆触を特色とするマッキア派の技法が,このような公的な展覧会にどのように生かされているか基準となる作品である。ネ大公の追放〉の完成作が展示され〔図16〕,第23室から第25室もマッキア派を中心とした展示で,第23室にはフィレンツェ市が今世紀初頭に購入したもの〔図17,18〕,第ナ地方を中心とした作品が並ぶことによって,近代美術館コレクションは終了する。ピッティ宮殿近代美術館のコレクションは,フィレンツェを中心として活動したマッキア派の画家たちの代表的な作品を,数多く所蔵しているが,寄贈者やコレクションの形態に重点を置いた展示となっているため,運動全体の流れや傾向が,少しわかりにくいことが難点となっている。また,18世紀後半のアカデミックな作例からマッキア派へ推移する展示は明晰だが,マッキア派のそれぞれの作家の流れや芸術的な評価による選択等が行われていないため,今世紀の美術の動向へのつながりも見えにくい結果となっている。しかし,本項の冒頭でも指摘したが,現在,展示室が改装されマッキア派の小品を比較的近い位置で観察することを可能にしたり,また,新たに改修される展示室では20世紀美術のコレクションが整理をされた上で公開される予定である。[ミラノ市近代美術館]〔図20〕ミラノ市の近代美術館は,1984年にミラノの中心部に現代美術館が開館し,20世紀-233-

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