鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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美術のコレクションが移送されることによって,1920年に,ヴィットーレ・グルビシおよび1975年に,ジウゼッペ・ヴィスマーレより寄贈を受けたイタリア及びフランス絵画の19但紀から20世紀の作品を展示する記念館のような位置づけになっている。その中でも重要な作品群は分割主義の画家であり理論家であり画商でもあったグルビシィの寄贈によるセガンティーニ,プレヴィアーティおよびグルビシィ自身の作品群であろう〔図21,22, 23〕。ミラノの抵紀末の芸術的風土を形成したとも言える作品が,幾分散発的なロンバルディア地方の19世紀美術コレクションを最終的に纏め上げ,美術館の最後に若干展示してある未来派の作品群への連関を示すことによって,同館の性格を明らかにしている〔図24〕。[トリーノ市近現代美術館]〔図25〕代美術館は,現在,1階から3階までが常設展示室,地階に企画展示室があり,3階彫刻家,画家,建築家」の作品である(注4)。この収集方針は,1913年に当時の館長エンリコ・トヴェッツによって設定され,現在もその基本方針に沿って運営されている。(ただし,寄贈をうけた作品には若干の他の地域や外国の作品も含まれている。)そのため,イタリア国内の近代美術館としてはたいへん整備された美術館であるにもかかわらず,展示内容は魅力を欠くものになっている。19世紀のコレクションも,この地方に王立美術学校が開校した1778年を起点として作品展示が始まり,風景画を経て,分割主義まで展示されているが,特色のあるコーナーは,トリノの美術学校で晩年教鞭をとっていたフォンタネージの50点余りのコレクションに限られるだろう。イタリアは一つの国としての歴史が浅く,州単位あるいは都市単位で独自性を強調する傾向が強いが,80年に渡るこの近代美術館の運営の結果としての所蔵作品を見る限り,成功しているとは言えないだろう。唯一独自性のある作家としてコーナーが設けられているフォンタネージが活動した場所が決してピエモンテではないことも,その事実を証明しているように思われる。日本の美術館の常設展示室,特に近代美術の展示から全般的に言えることは,①日ィ(1851-1920)よりイタリア19世紀美術を中心として寄贈を受けた100点程の作品,1863年,イタリアで初めて近代美術のコレクション収集を始めたトリーノ市の近現に19世紀コレクションを展示している。収蔵品の基本的な方針は「ピエモンテ地方の4.イタリアの近代美術館の展示から-234-

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